出でよ粋判官

 
 神戸マラソンで思ったこと。この街は東西の幹線を断たれるとホントになんにも機能しなくなる。これは阪神大震災以来の感想である。
 と、ジムで朝から泳いだあと、プールから上がってジャグジーで体を温めているときに考えた。
 最近平泳ぎの型が「見えて」きたような気がする。時折「これかっ」という瞬間を感じるのだ。客観的にはまだまだなんだろうな。個人レッスンを追加するか。
 帰りにスーパーで買い物。この日は国産の蛤があったので多めに買う。鰤は・・・まだ早いな。鰆の切り身にしよう。それと柿、葱、豚ばら
 家に帰り、蛤を塩水に浸けてから図書館に予約の本を引き取りに行く。今晩はこの本を対手に酒を呑もう。

【献立】
①蛤の昆布焼き 殻から身を外す(この時の汁は一滴もこぼさずにボールにとっておく)。厚めの昆布をたっぷり酒でしめして卓上七輪・・・がウチには無いのでカセットコンロに餅網をのせてその上に昆布を敷き、昆布の上で蛤の身をあぶる。先ほどの汁はここでふりかける。食べ際には柚子の汁か刻み柚子をふって。醤油は使わない。
②蛤の吸い物 まあ、これは書くまでもないか。酒の肴で飲むものだから、ごく淡く調味します。※今回は鰹ダシを引いた。ふだんは昆布だけだが、①との差し合いを考えて。
③鰆蕪蒸し 今回は蕪ではなく、上からかける餡のほうに椎茸や人参(いずれも繊に)、銀杏(殻を割って塩茹で)を混ぜている。これも①②との対照を考えて少し甘め・しっかりめの味つけ。上にさらし葱。
④柿なます 大根と人参で。干し柿ではなかったので、そう細くも出来ないから、大根人参ともやや太めに切っておく(割り箸くらい)。たて塩のあと、水分はしっかりしぼっておく。柿は味醂に浸けておく。酢は煮切り酒と一対一で合わせる。すりゴマをたっぷり、ちょっぴりの露生姜。
豚ばら これは酒の後うどんにする。水と酒を同割で煮立たせたところに豚ばらをどさ、と投入。色が変わりかけたらアクをざっとすくってうどんを投入。あまり煮込まない。つけ汁は生醤油。葱や胡麻、七味などで一口ずつ味を変えて食べる。今日は蛤吸い物の出汁を少し投入したのでむやみに豪奢な味になった。豚肉と貝は相性がよいのかもしれない。
 さて対手は色々あるが、ここではフランソワ・シモンの『パリのお馬鹿な大喰らい』(伊藤文訳、中央公論新社)。私生活(内容の大半は女の子をデートに誘うか、誘って断られるかという話である)の記録にこの著者の売りであるらしい辛口のレストラン評がない交ぜになったような体裁の本。まあブログの延長のようなものか。悪口の部分がかなり下品なのと、訳文が気になった(原文の調子に合わせているのかと思って訳者あとがきの部分を見ると、そこも上質な日本語ではなかった)のとで、やや難渋しながらも楽しめた。「双魚書房通信」には取り上げるほどでもないか。
 楽しめたといっても、別にパリに行くつもりはない、だから実用的なガイドとしてではなく、料理屋を評する本のありかたについてこちらを刺戟するところがあった。
 たとえばレストランを、所在の地区の特徴を結んで論じるところ。また同じ料理を色々な店で比べてそれぞれの特色を表現しているところ。料理全体の不易流行に気を配っているところ、などなど。
 全体に、「フランス料理とはこういうものだ」という確乎たるイメージを著者は持っていて、それがクライティーリオンとなっているため、同調するにせよ反発するにせよ安心できるのだ。
 フランソワ・シモンの本を語っているのではない。日本人が日本語で書いた、日本料理店を扱った本のことをいっているのである。どこそこの店が旨いだのまずいだのという情報はあっても、それが他の店と違ってどのようにウマイ/マズイのか(たとえばこちらは上方生まれでずっと上方に生活しているが、大阪の和食と京都のそれが、東京と比べてどのように似ており、また京阪ではどのように違っているのか、とか)、また日本料理の流れのどのあたりに位置付けられるのか、まったく見えてこない本が多すぎる。
 もちろんこれは、フランスに比べてはるかに「雑食」度の高い国ではなかなか明確にしづらいところだろうけれど。資金と時間に余裕があれば自分がやってみたい仕事ではある。

パリのお馬鹿な大喰らい

パリのお馬鹿な大喰らい

にほんブログ村 料理ブログ 男の料理へ
にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村