あなたの蕎麦 わたしの蕎麦

 毎年この時期は三宮そごうの「藪蕎麦」で「新蕎麦を囲む会」(「鍋を囲む」という言い回しはあるといえ、この名称なんとかならんものか)がある。友人・湘泉子を誘って出かけた。蕎麦がきと天ぷら、薬味に酒一本がついて新蕎麦は食べ放題。湘泉子(こちらとは比較にならぬ健啖家)と二人で大きなざるを五枚。ふつうのせいろでは一人あて三枚というところか。
 新蕎麦は旨かったが、この店はやはりふつうに来るのがよろしい。昼時分を外した閑寂な店に入り、合い焼きでビールか板わさで燗酒を一杯きゅーっとやり、さておもむろに先ほど仕入れた本を袋から取り出す。花巻か天ぷらか鴨南蛮で仕上げ、とこういきたい。
 はっきりいえば、ここよりも“純粋に”蕎麦の味を極めた店は他に多いだろう。しかし、器の趣味、酒肴の品揃え、酒の吟味(ここは菊正の樽酒しか置いていない)、従業員の物腰と、まるで芝居の中にいるようにどこまでも一貫してほころびのない美学(江戸情緒、というのはどこか気恥ずかしい。もっと抽象的に都市住民の生活様式とでもそれはいうべきものではないか)で統一された世界に浸りきるのは、昨今はやりの《修道院式》蕎麦屋には求むべくもない、無上の快楽なのである。注にいう。《修道院式》とは“純粋な”蕎麦を塩で食わせたり、“肴”と称して刺身を出したり、手でつくねたような野暮ったい器で「浦霞」や「天狗舞」や「小鼓」などの地酒を出す店を言う。重ねて注をすれば、これらの地酒が悪いのではない(反対にどれも大好物である)。
 名物の呼び声(「いらっしゃ〜〜い」)が小さくまたあわただしく響いたのが残念であった。
最後に駄句ひとつ。

  新蕎麦や友待つ店の宵ごころ

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