ふるさとへ回る六部は・・・

  気のよわりの兆したわけではないけれど、一年ぶりかで大阪の実家に行く。ふだんは極めてさらさらした付き合いながら、この日は法事にてやむなし。実家は長居にあり、阪急・地下鉄御堂筋線を乗り継ぐと車中けっこうな時間を過ごすことになる。で、携えていったのはジャック・ロンドンの『赤死病』。薄い本ではあったものの、梅田に着くまでに読み上げてしまった。すなわち熟読精読するほどの作にあらず。

  題名にある赤死病が猛威をふるい、文明が消滅したあと、原始的な生活段階にもどった時代が題材である。疫病小説(という呼び名があるかどうかしりませんが)は大好きだが、『赤死病』では病に冒されて死んでゆく描写に凄みはないし、病気とともにパニックが広がっていくところも野蛮状態にかえった人々の思考も、ともにありきたりである。訳者はポーの『赤死病の仮面』より上、てなことを書いていたがまずもって左様なことはござらぬござらぬ。

  この作者、筒井康隆さんの読書エッセーで『白い牙』が紹介されており、少し興味をもったのだが、それなりけりで終わってしまいそうである。

  梅田に出るのも久々なので、懐かしいかっぱ横町の古本屋をのぞいて回る。明るくて清潔で洒落た造りの店が増えた。つまりはどこにでもある通りと同じような外観になってしまったというだけのことである。それでも一通り見て回れば収穫はあった。

  地下鉄では岩波文庫の『蕪村七部集』。これは半分お勉強。「連句百鬼夜行」に記したとおりの事情で今連句にのめりこんでいるから、そのアンチョコにでもなるか、と本棚からカバンに放り込んだ。でもこれが面白いのですねえ。『冬の日』から『炭俵』にいたる色調音色の変化はないにしても、感覚的にはむしろひびいてくるところが大きい。これはやはり、蕉門に比べて時代が近いせいだろうか。

  よくいわれる蕪村の王朝趣味や漢語好みは、高踏を狙っているのではなくてむしろ彼らにとっての「俳」のありどころを示しているのだろう。『此ほとり一夜四歌仙』を評釈した中村幸彦先生が、「古の雅言はすなわち俳言」と看破されているのはこういうことであったか、と納得する。逆に芭蕉たちが心をつくして発掘した「俗」の詩情は安永・天明の京の俳人には古典として、いいかえればある程度固定した性格をもったものとして受け止められていたらしい。これは自分で連句・句作を試みてはじめてわかる事情だな、と満足したところで駅に到着。

  法事は法事だから変哲もなし。何年も前からオーストラリアに住んでいる弟を、出不精な親父がたずねた話を聞く。従兄弟によると、弟はfaceboookに「my father」として父親の画像を載せているそうな。「知らぬまに世界デビュー」とみなで笑う。

  神戸に戻るとあたりは暗くなっている。昨日の宴会の肴の残りを取り合わせて晩酌。旨かったのは子持ちはたはた(宴会ではだせなかった)。こんがり素焼きして、大根おろしと醤油で食べた。相手は昼間仕入れた本のうち、関容子のエッセー集(『おもちゃの三味線』)と八代目坂東三津五郎の食い物ばなし(『食い放題』)。後者は、昔の役者の弁当事情など面白い話題はあるものの、説教口調が耳についてもひとつ味わいに欠ける。途中で投げ出し、関さんの例の聞き書きスタイルによる役者・文士のプロフィールを楽しむ。堀口大學芥川比呂志吉行淳之介中村勘三郎、みな表情と陰翳に富んだ素晴らしい日本語を話している。この日本語を見事に文章とするのだから、関容子さんはよほど耳がよくて自身上質なことばを話す人に違いない。

  ベッドではバルガス=リョサの『若い小説家に宛てた手紙』(新潮社)を読む。《ラテンアメリカ文学》という看板にまどわされずに読むならば、『緑の家』も『世界終末戦争』も『都会と犬ども』も、実にまっとうな、正統的な小説である。そしてこの創作論もまた実に正々堂々としたものである。

  と思いながら読み進めているうちに、体の奥からむずがゆいような欲求がつきあげてきて、書庫に走り込む。手にしたのは日本名著全集の『川柳雑俳集』。これに収められた『俳諧武玉川』が読みたかったのである。

  膏肓に入ったようで、この「俳」病、果たしていつになったら快癒することやら。
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