近くて遠い町

  先週末の宴会では車海老を出したので、その殻(および頭)が大量に出た。参加者の一人(主婦)から「モノを捨てませんねえ」と感に堪えた表情で(というよりあきれていたのか)言われたが、活けの海老の殻(および頭)とあればこれは捨てる方がどうかしているわけで、ワインとハーブ(ローリエとタイム)でことこと煮込み、すりこぎでがんがん叩いてエキスを絞り出し、トマトペーストと大量のバター、ちょっぴりのブランデーで風味をつけて、ビスクに仕上げた。ウマイ。これなら多少荒っぽい酒でもいいかな、とプロヴァンスの白を冷やしに冷やしたのを開ける。あとの料理は変な取り合わせで、子持ちのハタハタを唐揚げにしたあと、大量の大根おろしと刻み葱とレモン醤油をかけたのと、鳥皮(これも宴会で出した丸鶏のもの。コクと歯ごたえがすばらしい)と三つ葉の三杯酢、それに蓮根・こんにゃく・里芋・牛蒡の煮染め。このブログでもたしかぶり大根のことで書いたが、甘み(砂糖や味醂)は極力控えめ、出汁と酒をたっぷりつかって煮込んでいくと、酒の肴によろしい。鉢に盛ってからは柚子をおろしてかけると小粋な感じになります。

  対手は、ふふ、図書館に入っていたので飛びつくように借りて帰った『田辺聖子全集』。作中の大阪弁の奇妙(これは素晴らしいという意味)、大人の、とはつまり苦みがきいて冷静でありかつ暖かい視線、その二つから醸成されるなんともいえないユーモア(これは絶対に大阪弁以外では再現できないであろう)。以前から田辺さんの愛読者ではあったけれど、ここのところ俳諧にハマっているので、『武玉川・とくとく清水』他の俳諧関連の著作をもう一度まとめて読むつもりなのである。
  どれを読んでも実に面白いのだが、こちらの蕪雑な文章であの爆笑・微笑・苦笑を喚起させるのは不可能である。よろしく現物について大いに楽しんでいただきたい。

  田辺さんは福島、つまり大阪の下町の代表のようなところで生まれ育った人だが、この癖の強い都会を、距離をおいた視点から、しかも自身「町」に生い育った人間が見たらどうなるか。『大阪不案内』の著者・森まゆみさんが、これも東京の代表的な下町である谷中・根津・千駄木を根城とする練達の書き手であることは皆様ご存じ。(注して言う。っこでいう「下町」は小林信彦が正しく定義するところの、神田や日本橋を中心とした江戸以来の町人地という意味ではなく、谷中・根津・千駄木に代表される、ああした雰囲気をもつ町を指して呼んでいる)

  当方大阪生まれ。森さんが一々驚嘆しているポイントが逆に「それがどないしたん」としか感じられないところも多かったし、《庶民》びいきには体質的に違和感を感じるほうだからやや鼻白む叙述もなくはなかったが、それらも含めて面白く読めた。言うなれば文化人類学的関心で大阪を捉え直している自分に気付かされるのである。

  大阪生まれとはいうものの、神戸に住んではや二十年近く。「ガイジンさん」であるのはこちらも御同様か。丹念に歩いてわが目で見れば、新たなニュアンスを帯びた大阪のイマージュが揺らぎ出るかもしれない。

こういう感覚こそが大事だと思うのですが。

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