町にすむひと

  テレビで京都の杉本家の半年を撮ったドキュメンタリーを見た。ここは四条通から南に一本下がった綾小路通に面する、京都でも指折りの町屋(古いだけでなくまた大きい)である。

  中心は杉本家に伝わる「歳中覚」という、年中行事のしきたりを綴った冊子(寛政年間からのもの)の記事を経糸に、家中の女性の料理やしつらいのこまごまを追っていくことにあった。

  それにも興は動いたのだが、当主である杉本秀太郎さんが、住家であるところの建物を財団法人化するにあたっての苦心等々を、さすがに揺るがないことばを選び選び語っているところで、ふっと懐かしくなった。

  むろん、杉本さんと知り合いというわけではない。こちらがまだ大学院生だったころ、一度杉本家をおとなって少しばかりことばを交わしたというだけのことである。当方が所属していた研究会で出した本、というのは幕末の国学者の書翰を解説付きで翻刻したものだが、その書翰の一通に、杉本さんが愛してやまない大田垣蓮月尼の記事が出ていたので進呈にうかがったのである。もっとも、そのときいただいた著書を今確かめると、筆書きで十一月四日とあり、展覧会か古書市かのついでだったと思う。

  それでも郵送にしなかったのは、『大田垣蓮月』以下の散文の書き手としての杉本秀太郎という存在に、以前からつよく惹かれていたからに違いない。ただ、ここは複雑なところで、昔からこちらが惚れ込む著述家に限って、対面は避けたいと感じる傾向があり(たとえば、差し障りを避けて故人でいうなら川村二郎さん)、失礼ながら杉本さんもその例外ではなかったのだが、なぜお宅まで押しかけたのか。当時すでに有形文化財として公開されていたとはいえ、やはり若気ゆえの愚行と、今にして思えば言って慚じるほかない。

  参上の趣旨を夫人に言上すると、杉本さんが書斎から下りてきてくださった。こちらの話を、少し伏し目がちに、しかし的確な間合いでうなづいたり相槌をうったりしつつ聞いたあと、これもやはりしずかな声で「学問にはげんでください」と一言。

  そのあと、闊達な夫人に案内されて住宅を拝見した。こちらが専攻していたある儒学者の名前をあげると、「その人のご先祖なら」と仏間の額かなにかの裏に書がありますよ、とさらりと返されて二の句が継げない思いをしたことを覚えている。


  あれから十二年経ったと思うと気が遠くなりそうである。学問にはげまなかった結果、こうして呑んでいるわけだ、と思いつつ晩酌の杯を重ねて、いやいやたとえ学問成ったとしてもこうして呑んではいるだろう、とまた思い直す。

  菊姫山廃純米をぬる燗にしての(案外いけた)今晩の肴は、
・なまこ酢
・薄揚げと芹の白和え
・鰯煮付け(いつもは梅干を入れてあっさり炊きあげるのだが、冷え込むので少しこっくりめに、味醂を多く使う)
・沢煮椀風(「風」というのは、本式の豚の背脂の代わりに比内鶏の鶏皮を用いたから。野菜は牛蒡と葱と人参)


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