豚討伐で同士討ち〜さつま旅の記(3)〜

 二日目の鹿児島はまずまずの天気。ホテルの温泉にゆっくり浸かってから何はともあれ天文館へ。近くの定食屋に入り、卵焼きとおひたしでビールの小瓶を空けながらバスの時刻を調べる。この日は薩摩焼の窯元が集まる美山へ向かうことにしていた。

 『故郷忘じ難く候』でこの地を舞台としたのはかの司馬遼太郎。「国民作家」のあとから詳しく述べるまでもないだろうが、豊臣秀吉朝鮮出兵の際に連れ帰った陶工の子孫が、徳川幕府時代もかの地の風俗・言語を保ちつつ、藩御用の焼き物を作り続けた、という事実は、近世日本という時空間にあって、貴重な「風穴」と評価していいだろう。

 バスでは天文館から一時間弱。平日の朝だったから、当方以外に乗り込んでくるのはむろん地元の方々ばかり。その一人ひとりに運転手が「おはようございます」と声をかけていき、客もそれに答えている。折り目正しいというよりはむしろ、互いに居心地のよい空間を作ろうとする意思が感じられて好もしい。美山に着く頃には乗客はただ一人になっていた。

 陶工の里は、そのバスが走る道の左右にそれぞれの工房がならぶ形になっている。中央の道はかなり交通量が多く、バス停に降りた時は正直格別とも感じなかったが、すぐ脇道に入るとまるで別天地のような静けさが支配している。多くの家が塀の代わりに同じほどの高さの生け垣を巡らせているのが印象的だった。内には息苦しくない親密さを与えながら様式の統一によって外部からは自律したたたずまいを見せているのである。

 ま、何はともあれ窯元めぐり、というわけでまずは司馬氏が取材した沈壽官窯へ。ここは代々の「作品」や近世当時の文献資料も展示された小さなミュゼを併設している。

 江戸時代の朝鮮語テキストというべき『交隣須知』や、明治になってから士分扱いを要求して出した嘆願書などの資料もそれとして興味深かったけど、やはり焼き物がいちばんの見物である。実物を見る前は白薩摩黒薩摩とあるうちの白系統の焼き物にどうも装われた端正さのようなものを感じて親しめなかったのだが、里のintimeな雰囲気のなかで、貫入の細かく入った肌の上の繊巧な絵付を眺め入っていると、幻のような華やぎがある種の実質をもって迫ってくる。つまりいたずらにピカピカもしていなければ、野暮ったさもまた感じられない(地に足のついたしたたかさは野暮とは違うとして)ということである。

 ただ難癖をつけるならば(難癖であるのは承知である)、料理を盛りたいと思わせるようなかたちの器には乏しい。食器としてならば旧に拠って黒のほうを好む。

 沈壽官窯以外に回ったのは四つ(窯自体はまだまだあります)。その他に遠く慶長の頃、檀君という朝鮮の伝説的な王が降臨したという玉山神社にも詣った。無造作に(と思える)鳥居をくぐり、調所笑左衛門の移し墓を横目に坂道を上ったら、そこにはまだ鳥居がある。しかし、その先は紛う方無き茶畑は広がるのみ。山間の高台だから、茶の栽培に適しているのはわかるが、それにしても社の見えないのは不思議である。ちょうど畑の剪定をしていた方がいたので訊いてみると、茶畑の奥に隠れるような場所からさらに参道が上に伸びているという。礼をいってその方角に向かう。炎暑の下、他に誰もいない畑を歩いているとなんだかこちらが幻のように思えてきた。

 それにしても暑い。そして店(一服できるような)が無い。それにバスが一時間に一本しかない。かろうじて開いていた酒屋で缶コーヒーを買い、脇の水道を使わせてもらってタオルを絞るが、コーヒーがみるみるぬるくなり、タオルの水分は真上の太陽にあっという間に吸い上げられてしまう。車は走るが歩いている者は(地元の方も含め)誰もいない。日干しになりそうな思いでバスを待っていると、豚を詰め込んだトラックが走り去っていった。

 目があった豚の瞳は大きかった。

 鹿児島に帰ると、ともかくぶったおれそうなくらいに腹が減っている。昨晩はトリだったから今日は黒豚にするべい。とさっきのトラックの豚を思い出しながら独りごちる。

 「さつま黒豚」を売り物に掲げた店は天文館にはいくらでもある。よっぽどマズそうな店構えでなければ大丈夫だろう。いい加減にあたりをつけてそこらのトンカツ屋に入る。少し昼時分を過ごしているし、平日でもあるので客は思ったより少なめ。とりあえず生ジョッキを干して人心地をつけた。

 頼んだのはフツーのロースカツの定食だったが、そのフツーのトンカツの脂の甘さに感動した。黒豚おそるべし。

 あまり詳しく書くと自己嫌悪に陥りそうだから以後の報告は簡略にとどめますが、そのあと、二軒、トンカツ屋のハシゴしました。どの店でも豚以外に、漬け物と味噌汁が美味しく、また量の多かったのがうれしかった(三軒目はウレシスギテ涙がこぼれそうだった)。

 腹ごなしに城山下の鶴丸城跡の市立美術館までぷらぷら歩く。ものすごし陽射しなのだが、それほどに感じないのはビールをしこたま呑んでいるせいかもしれない。

 美術館ではナント美術館展を開催中。さほど好まない印象派が中心の品揃えではあるけれど、指の先までトンカツが詰まっていそうな具合のときにキリスト磔刑図や(おえっ)レンブラントの深遠なる肖像画なぞ(飽食を責め立てられるように感じると思う)見たくはないのでちょうどよい。

 という状態で見物してまわったから、名品揃いの展覧会(だったんでしょう、きっと)には申し訳ない仕儀なれど、一つひとつの作品はあまり印象に残っていない。地元の小学生があちこちで、休暇中の宿題なのだろう、絵を見てはしきりにメモしていた。モネやシスレーならともかく、カンディンスキーなんて、見てどんな感想を書くのでしょうか。

 美術館を出たあと、タクシーでホテルに戻るとそのままベッドに倒れ込んで熟睡。旅先だとこーゆーことをしても後ろめたさを感じないのが愉快である。

 一風呂浴びて再び下山。歩いたことは歩いたが、それにしてもあれだけ食べて六時にはもう空腹とまではいかないが、呑みたくはなっているとは、われながら浅間しいことである。

 この日の店は、鹿児島中央駅前の「かごっま屋台村」と、これは出発前から決めていた。友人が強く薦めてくれていたのだ。「次から次へと店が湧いて出る感じ」。これは張り合いがありそうな。

 結論。鹿児島、というよりはこの「村」の中に住みたい。

 一軒目は地魚を出す店。ここで刺身を食べて、二軒目はホルモン串焼き。次がえーとたしかおでんで、次は多分奄美料理か蕎麦屋か。んでもってもう一回串焼き(初めのとは別の店)に入り、最後はピッツェリア(まである)で、奄美の生姜を使った夏向けのカクテルをごっきゅごきゅ呑んでいたことは覚えている。むろんそれまでの店では、焼酎をがぶ飲みしていた。「森伊蔵」などのご存じブランドはどこでも高いけれど、地元のマイナーな銘柄はほんとに安い。屋台村オリジナルの銘柄にいたっては一杯二百円也、である。この日のうちに呑めるだけ呑んでおかなければ世界が終末を迎える、ような恐怖にかられて延々お代わりを頼んでいた。

 居心地がよかったのは、客に旅行者が比較的少なく、地元のサラリーマンや学生さんの常連が多かったことにもよる。旅先なればうんと気張ってふだんとは違うトコ見せなきゃ、てな強迫観念にかられた同士がいきなり意気投合して肩を組んで合唱・・・てな雰囲気は大嫌いだが、心配していたそういうなれなれしさもなく、全体としては耳許でわーんと唸りを上げているような賑わいにもかかわらず(全国から屋台村の経営を視察に来るのだそうな)、どこかゆったりした落ち着きを感じられるのが有り難い。スタンプラリーで五軒以上回った記念にグラスをもらったのをしおに立ちあがる。

 「村」を出ると、熱気はさることながら、吹き止まない風が心地よい。

 それから天文館で二軒回った自分を褒めてあげたいと思います。