我、乱世にあり~双魚書房通信(17) ~

小川剛生『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』(中公新書

 

 中学校の教科書にさえ載るくらいの古典のことだから、作者に関してもう知られる限りのことは知られている、と誰しも思う(少なくとも評者はそう思っていた)。その思い込みを片っ端から粉砕してくれる快著。これほど衝撃的な新知見を、しかも盛りだくさん、啓蒙書で披露してもったいなくはないのだろうか・・・などと余計な心配をしたくなる。日本の中世文学に関する専門知識は必要ない。まっさらの素人(評者がそう)でも昂奮して読める一冊です。


 「京都吉田神社の神官を務めた吉田流卜部氏に生まれた出自、村上源氏一門である堀川家の家司となり、朝廷の神事に奉仕する下級公家の身分、堀川家を外戚とする後二条天皇の六位蔵人に抜擢され、五位の左兵衛佐に昇った経歴」を小川剛生は「造られた虚像」「出自や経歴はまったく信用できない」と小気味よく斬りすてる。


 断じるにはむろんそれだけの根拠がないといけない。社寺や公家の日記・記録などの記述を丹念におさえていることは専家として当然なのだろうが、評者には誰でも見ようと思えば見られる類いの資料を用いて鮮やかに読み解く=読み替える手際に感歎した。


 たとえば我々もなじんでいる「兼好法師」という呼びかた。兼好は七つの勅撰和歌集に十八首採られているが、その際の作者表記はすべて「兼好法師」。そして侍品(これは公家社会での身分秩序における最下層を意味する)以下の出家者は「凡僧」と呼ばれて「○○法師」と表記されるのだそうな。だから、五位の左兵衛佐になっていたのなら、「遁世しても必ずや俗名で表記されたはずである」。ナルホド。勅撰のような格式の高い集においてはこういう慣行は厳守されるだろうからな、と納得する。明快にして強力な論証。


 この例だけでなく一体に、鎌倉末期から南北朝の社会における常識・慣行のなかに対象を置いて見直していくのが小川さんの学風であるらしい。兼好の行動圏である六波羅周辺の住民層を検証して、「武士・宗教者・金融業者などがひしめく新興都市」と位置付け、そしてその空間のなかに是法なる法師の行動を追いかける所など。『徒然』百二十四段で賛美されるこの坊さんの、土地・金融取引の実態を跡づけた上で(「実に敏腕の経営者」)、「金融や不動産売買で巨万の富を得ようと、是法の信仰と矛盾することはない」。ナルホド。七百年前の都びとのメンタリティーがいきいきと伝わってくる。


 もっともこれは古典(にとどまらないか)文学研究の本道であるはずなのだけれど。殊に、個人の自我の発露や創意よりも伝統や秩序を重んじた中世社会にあっては、人の発想・行動には必ず倣うべき範型が存在する。和歌でいえば「本意」というところ。あるいはクルツィウス風にトポスと呼んでもいいだろう。「当時の社会では、自らは公的な場でどのように振る舞えばよいのか、相手に対してはどの程度の敬意を払えばよいのか―――すなわち書札礼、路頭礼といった作法を知ることが重要な教養であった。乱世であればあるほど、その後の復原力もまた強く働いた」。最後の一句は史眼の冴えを示している。


 詳密な伝記の再検討でありながら、作品の読みにあらたな角度を提供しているのも、優れた研究である証拠。兼好さんは「何事も古き世のみぞ慕はしき」、と内裏のくまぐまをほとんど恍惚として賛美している。過去の栄光の回想、という通説を著者はここでも退ける。兼好が実際に目にしたのは官庁御殿が連なる大内裏ではなく、「里内裏」(洛中の廷臣の邸を借り受ける)だったと指摘するのである。ナルホド。これだと、目の当たりにしているごく標準的な調度に「これこそ内裏!」とコーフンしているミーハーの姿が浮かんでくるわけだ。


 当時は、内裏に一般住民が入り込むこともふつうだったらしい。殿上人などは狩衣で儀式に臨むな、という禁令が紹介されている。略装だと公家が群衆に紛れてしまうのである。「我先争って紫宸殿に昇り、禁廷を埋め尽くす見物人の存在が前提となっている」というから可笑しい。そして、「兼好の内裏へ抱いた憧憬は、この日に内裏につめかけた住民のそれと違いのあるものではなかった」。


 この兼好像はすこぶる清新。この男の手になるものとしてあらためてあの本を思い浮かべてみよう。なにやら斜に構えた隠者の独り言はやがて音を潜め、かわっていかにも「町のひと」らしい好奇心と身ごなしの軽さと、少なからぬ軽佻さとが横溢するシャープなエッセイという姿がせり出してくるようである。かの有名な小林秀雄の文章(これも教科書の定番だったものだ)の、思わせぶりが阿呆らしくなる。

 乱世でありながら活気に満ち、下剋上が横行しながら伝統が賛美されるケッタイな時代を生きた、これまた矛盾だらけのケッタイなやつがものした一代の奇書。本来『徒然草』は教科書になんぞ採るべきではない、じつに愉快な読み物なのだった。

 

兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実 (中公新書)

兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実 (中公新書)

 

 

 

 

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