枕の中から囁く声は~双魚書房通信(18) ミシェル・ウエルベック『H.P.ラヴクラフト 世界と人生に抗って』(国書刊行会)~

 『服従』で世界を騒然とさせたウエルベックの、最初の本。ウエルベックとあの怪奇な神話の創造主との結びつきがもひとつ分からないままページを繰ると、スティーヴン・キングの序文(二〇〇五年版)がある。


 自分で書いてて怖くなったことはあるか。これはホラー作家なら何度も受けたことのある質問だが、それはギタリストの指にタコができるような、いわば職業病であってどうってことはない、とキングは言う。しかし、書くこともできないほどの恐ろしいアイデアが浮かんだことがあるか。これはすでに「職業病などという退屈なことについて話しているわけではない。彼らは仕事の話をしているのであり、それは決して退屈なことなどではない」。ではキングの場合はどうか。


 プロヴィデンスラヴクラフトの故郷)の街を歩いていたキングは、通りかかった質屋のショーウィドーを見ながらこう夢想する。この中に、ラヴクラフトが毎晩毎晩頭を載せて寝て、その上で夜な夜な夢を見た枕があったとしたら。枕に封じ込められたラヴクラフトの「悪夢のさえずり」を物語にしたらどうだろう!


 この物語が実際に書かれることはなかったわけだが、モダンホラーの帝王にしてしかり。そしてウエルベックの見るところ、HPLこそは「書くこともできないほどの恐ろしいアイデア」を書き続けた小説家なのである。

 


    「あらゆる人間の渇望すべての絶対的な無意味さにここまで侵蝕され、骨まで刺し貫かれた人間は、きわめて稀だろう。」
    「彼の作品の主人公たちの死には、何の意味もない。それはいかなる安堵ももたらさない。物語を締めくくらせてくれることも全くない(中略)こうした悲惨な展開には無関心なまま、宇宙的な恐怖は膨張し続ける。」

 


 だが、「ラヴクラフトの作り出す恐るべき存在は、どこまでも物質的である」。大いなるクトゥルフすらも「電子の配列のひとつ」に過ぎない!だから彼の作品の主人公たちの造形がおしなべて平板なのはむしろ意図的であり心理描写は邪魔なのだ。「彼らの唯一の実質的な役目は、知覚することなのである」。主人公はみな、おぞましい怪物=神を呼び出すためのいわば口実(プレテクスト)に過ぎないというわけだ。キングも序文で「彼の恐怖の叫びは明晰である」と断言している。認識でも(ホフマン『砂男』)行為(キングの諸作)でもなく知覚。ウエルベックは言う、「視覚は(中略)ある時は妖精譚的建築の驚異的な眺望をもたらす。しかし悲しきかな、わたしたちには五感がある。そして他の四感覚はこぞって確認するのである、世界は率直に言って気持ちの悪いものなのだと」。


 いかなる心理学的・人間的意味も持たない恐怖は、客観的な叙述を求めるだろう。HPLが遺伝子学や数学、物理学といった最新の科学を取り入れようとしていた、という指摘は(ゲーデル不完全性定理からアインシュタインの相対性原理まで!)興味深い。HPLと資質こそまるで逆方向とはいえ、徹底した人間嫌いという点では通底するリラダン(ホラー作家とは呼べないけど)がテクノロジーへの独特なアプローチをもって作の構成原理としていたなあ、などと連想する。


 それにしても、かかる暗鬱な神話群を書き続けられた人間とは。ウエルベックによれば、HPLは民主主義や経済第一主義を嫌い抜いた(だから極貧のうちに死んだ)。その意味では反時代的精神の持ち主だったようだが、反面、いかにも一九世紀末に生まれ三〇年代に亡くなった人間らしく、頑迷な人種主義者でもあった。むろん、彼が属していた社会階級(「ニューイングランドプロテスタント清教徒の旧ブルジョワジー」)からすれば当然の偏見だったが、ニューヨーク、移民の流れ渦巻くこの都会で生活したことで、その人種主義に磨きがかかった、とウエルベックは推測している。HPL自身の手紙から引いておこう。「南部の海水浴場では、ニグロたちが海岸に行くことを許されていません。繊細な人々が脂ぎったチンパンジーの群れの横で海水浴をしているのを想像できますか?」「わたしは最終的には戦争になるだろうと期待しています(中略)その暁には、人としてアーリア人として、力のほどを見せ、そこから逃げることも生還することもできないようあ、科学的な大規模収容所を作り上げようではありませんか」。


 ここに衰退しつつある階級のルサンチマンをかぎ取ることはたやすい。サディスティックなホロコースト幻想に陰気に昂揚する人生の落伍者の顔つきをうかがうことも同様にたやすいだろう。しかしウエルベックは決然として強調する。

 


    「はっきりさせておかねばならないことは、彼の物語のなかでは、犠牲者の役割はおおかた、アングロサクソンの教養ある、控えめで、良き教育を受けた大学教授であることだ。実のところ、彼こそがむしろその手の人物の典型である。」
    「お分かりのことと思うが、彼の作品を突き動かす中心的な情念は、サディズムというよりもはるかに、マゾヒズムの類のものだ。しかしこれは、その危険な深みを強調するものにほかならない。アントナン・アルトーが指摘しているように、他人に対する残酷さは芸術においては凡庸な結果しかもたらさないが、自身に対する残酷さには、これと異なり大いに興味深いところがあるものだ。」

 


 「危険な深み」とはこの場合、単なる人種主義的憎悪を越えた、いわば情念の自己増殖の謂であろう。HPLの作品において、舞台はどこであれ、「すべてが〈の普遍的現前を露わにするのである」。もうひとつ引いておこう。「諸文化の凋落についての省察よりもさらに深いところにあるもの、それは恐怖だ。恐怖は遠くからやってくる。そこから嫌悪が生じる。やがて嫌悪そのものが憤りと憎悪を生み出す」。『ダンウィッチの怪』にウエルベックは「キリスト教の主題のぞっとさせるような裏返し」や「受難物語のおぞましいパロディ」を見ているが、これはどうか。それこそ《遠くからやってくる恐怖》《普遍的な〈悪〉》を描写しつくそうとした時に、清教徒の血筋あらそえずに漏らした呻き声のようなものではないか。


 ともあれ絶対的な恐怖に執着し続けた小説家は全身を癌に冒され、看護婦たちに感銘を与えるほど忍耐強く礼儀正しい模範的な病人として、一九三七年に死ぬ。


 「世界で初めての真に知的な恋文」「豊かで意表を突く創造性の爆発」とウエルベックの著書を称賛しつつ(キングはご存じのとおりおそろしく率直な物言いをする作家だ)、いくつかの疑問をあげている。人生は苦しみと失望に満ちたものか?人間はわたしたちのなかに好奇心を喚起しないのか?ラヴクラフトはセックスに無関心だったのか?*


 含蓄に富んだ反問だ(発したのがキングだけに尚更)。ここにはHPLの作品だけでなく、ホラー小説、そして文学の本質を問う真摯な声がある。ラヴクラフトの本を持っているかたはぜひ本棚から取り出して読み直して銘々に考えて下さい。できれば夜更けに一人で・・・そして、最後にまたキングのことばを借りれば―――どうか良い夢を。(星埜守之訳)


*「クトゥルフラヴクラフトの物語に出現するときにわたしたちは、巨大な触手を具えている、時空を越えた殺人ヴァギナを目撃しているのだ、といった議論も可能だろう」。やっぱりキング、信用できる。

 

 

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鯛をにらんで

某日 初春文楽公演で『摂州合邦辻』を観る。織大夫を襲名した咲甫大夫さん熱演。それにつけても竹本津太夫鶴澤寛治(先代)のコンビの「合邦」は凄い(前日DVDを観ていた)。命がけ、という感じである(この時寛治は八五才)。


 文楽劇場のロビーに、黒門市場寄贈のにらみ鯛が飾ってあった。むろん立派な鯛を選んでいるのだが、説明書きに、正月の二十日にはこの鯛を餡かけにして食べたとある。はて二十日といえば、「骨正月」と唱えて掛け鯛の骨を骨湯にして飲む日じゃなかったっけ?


 気になったので帰宅して調べて見ると大阪府下一円に餡かけで食う風習があったのだそうな(『大阪の民俗』)。鯛はもとより大いに好む。この時季は餡かけの嬉しいこと言うまでも無し。という訳で、当日東山市場に鯛を仕入れて餡かけにしました。鮮鯛では本来の形・趣旨とは異なるのですが、そして新しい鯛のほうが旨いとは思うのですが、ここは風情を重んじて半身(骨付き)にばさばさと塩を振ってきつめに〆ておく。


 その分、餡かけの味はごく薄めに。鰹・昆布で引いた出汁に酒を振って淡口は色づく程度。あしらいは新筍、餡には鳴門若布を細かく刻んだのを混ぜる。一月後半で筍やら若布やら使うのも邪道なんだけど。やっぱり春浅し、という気分は初午のお膳からかな(当ブログでも何度か出ています)。


 ながらく本の記事を書いてなかった。だいぶ溜まっておりますゆえ、次回あたり双魚書房通信を更新するのでいつも以上に簡略な書き方をお許しあれ。  ★は面白かった本。

数学セミナー編集部『100人の数学者 古代ギリシャから現代まで』(日本評論社
○ストラパローラ『愉しき夜 ヨーロッパ最古の昔話集』(平凡社)★
小玉武『美酒と黄昏』(幻戯書房
ジョーゼフ・ジョルダーニア『人間はなぜ歌うのか? 人類の進化における「うた」の起源』(アルク出版)
四方田犬彦『ひと皿の記憶 食神、世界をめぐる』(ちくま文庫
○丸山宗利『昆虫こわい』(幻冬舎新書)…この「こわい」は『饅頭こわい』とおなじ用法。
○藤本強『埋もれた江戸 東大の地下の大名屋敷』(歴史文化ライブラリー、吉川弘文館
高橋智書誌学のすすめ 中国の愛書文化に学ぶ』(東方選書、東方書店
○池上洋一『美しきイタリア 22の物語』(光文社新書
山口昌男内田魯庵山脈 「失われた日本人」発掘』(晶文社
○松田隆美『煉獄と地獄 ヨーロッパ中世文学と一般信徒の死生観』(ぷねうま舎)★
ジョヴァンニ・ボッカッチョ『名婦列伝』(瀬谷幸男訳、論創社
モーリス・センダック『わたしの兄の本』(柴田元幸訳、集英社)…センダック最後の本。
松田浩他『古典文学の常識を疑う』(勉誠出版
○青木直己『和菓子の歴史』(ちくま学藝文庫)
川本三郎『君のいない食卓』(新潮社)
○佐藤至子『江戸の出版統制  弾圧に翻弄された戯作者たち』(歴史文化ライブラリー、吉川弘文館
○清水多吉『『戦争論』入門 クラウゼヴィッツに学ぶ戦略・戦術・兵站』(中央公論新社)★
○ファブリツィオ・グラッセッリ『ねじ曲げられた「イタリア料理」』(光文社新書)…ピッツァはイタリア料理ではない!ま、あんなモノ、端から興味がないからどうでもいいのです。
橋爪大三郎大澤真幸『げんきな日本論』(講談社現代新書)…おふたりとも、かしこいんですね。
○岩佐美代子『京極派と女房』(笠間書院
池内紀『記憶の海辺 一つの同時代史』(青土社)…池内さんの自伝です。★
中島岳志親鸞と日本主義』(新潮選書)…切り込みが甘いなあ。それに書きぶりにもあまり感心しない(今さら小林秀雄の『モオツアルト』でもあるまいに)。魅力的な主題なのだが。
松本健一『「孟子」の革命思想と日本 天皇家にはなぜ姓がないのか』(論創社)…「清和源氏は藤原家の出である」なんて細部の間違いはこの際見逃そう(実はこういうことを平気で書き飛ばす書き手は信用しない)。しかし「天皇家はある時点で姓を捨てた」という著者の直観、なんだか倒錯してると思うんだがなあ。元々姓という概念が無いところに氏姓制度で臣下にカバネを与えてるうちに、いつの間にか周囲が姓を持つようになって、無い状態を特権化したと見る方が自然ではないですか。
○小川剛生『足利義満』(中公新書)…たとえば右大将という地位が武家にとっていかに重要だったか、など当時の“空気感”を丁寧に説明してくれるのが有り難い。それにしても、側にこんなヤツおったらやだね。まあ、義満をとりまく連中もたいがい強烈なのだが。小説のネタ本にも。★
ノルベルト・エリアス『エリアス回想録』(大平章訳、叢書ウニベルシタス、法政大学出版局
○コスタンティーノ・ドラッツィオ『カラヴァッジョの秘密』(上野真弓訳、河出書房新社
○ジョン・リード『世界を揺るがした10日間』(光文社古典新訳文庫)★
オリヴァー・サックスタングステンおじさん 化学と過ごした私の少年時代』(斎藤隆央訳、ハヤカワ文庫)
鈴木貞美『『死者の書』の謎  折口信夫とその時代』(作品社

 

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あるいはC1000タケダで一杯の風呂~青森初見参②~

 駅前から八甲田山酸ヶ湯温泉行きのバスが出る。夏は十和田まで抜けるそうだが、冬は酸ヶ湯止まりとのこと。常客は当方ともう一人だけ。いやが上にも旅情が高まる設定ですねえ。もう一人がオッサンではなく女子大生だと更に高まっていたのですが。


 市内はまあ、昨日経験した程度の積雪。ところが三内丸山遺跡を過ぎるころからぐんぐん周りの白さがましてゆき、八甲田に入ると上方根生いの人間は思考が停止してしまう。道路の両側はバスの窓近くまで雪の壁が延々と連なり(これでも例年に比べると低いそう)、その先はどこまでも白い平面。そこに目路の限り葉を落としたブナ(これこそ関西では普通には見られない樹だ)が立ち並ぶ。ブナの黒と白とだけの世界。ブリューゲルの絵の中に迷い込んだような非現実感で、呆けたようになっておりました。


 途中スキー場で小憩(ロープウェイは風のため運休)。運転手もタバコを吸いに外に出てくる。運転手氏曰く「ここらで今の気温がマイナス五六度。酸ヶ湯までいくとさらに下がる」。寒冷フェチとしては恍惚としてしまう。また聞き捨てに出来ない情報も教えてくれた。「酸ヶ湯は混浴だよ」。なんと。「ま、全体に湯気がすごくて何にも見えないけども」。なんと。


 目的地に着くと、果たして雪雪雪のただ中に旅館があった。ずいぶん大きな造りで、宿の説明書きを見るに登山客やスキー客だけでなく、湯治客も多いらしい(湯治客専門の宿舎もある)。


 ともあれまずは湯である。混浴ときいて舌なめずりする年齢(つまりは中高年)でもなく、逆に混浴ときいて怖じ気をふるう今の草食性というか植物性若者でもない世代の鯨馬、粛々として「千人風呂」なる大浴場に向かう。


 湯気がすごい。そして明かりも暗い。「何」かが見えるどころか、三四メートル先に人がいるのかどうかさえ見分けがたいほどである。湯の匂いも「硫黄ようさん入れてまっせぇ」という主張の強さ。こりゃあ効きそうだわ。


 「熱の湯」にそろりそろりと体をしずめる。割合熱くない。顔を洗うと湯がしみる。比喩的な意味ではなく、文字通りに目が痛い。いやまじこれやばいいたいいたいいたい。ひとすくい口に含んでみると、案の定ライムジュースといおうかC1000タケダといおうか、とにかく強烈にすっぱい。色もまさにヴィタミン飲料の色をしておりました。こりゃあ効かねば嘘だわ。


 「熱の湯」と打たせ湯と「四分六の湯」とに交互に入る。泉質はそうでも、湯温はさほどでもない。じんわりとライム果汁が体にしみこんでいく。うっとりと目を閉じる。つい目の先にいる(やもしれぬ)オバハンの裸体から目を背けている訳ではない。目を開けたまま天井を見上げると、ともかく目が痛いのである。それさえ除けば法悦ここに極まれり、という感じ。一と月もここで湯治したら鯨馬も新田次郎並みの傑作をものすることが出来るのではないか、と妄想に駆られる。極上の湯に浸かりながら、壁一枚向こうの冷たさ・雪の色を思い描くと、一層ニルヴァーナ的心境が深まっていくのだ。これは一句ひねり出さねばなるまい。雪の上塩と砂糖をなめてみる。いやこれはどこかで聞いたな。降る雪や平成は遠くなりにけり。いや、遠くなるのは来年の話だった。などとぶつぶつ言ってるのが楽しくて、だから混浴などどうでも良いのである。

 

 

 

 ホントに、どうでもいいのですよ。

 

 


 じんじんする体で、旅館内の蕎麦屋で食事。八甲田の湧き水をまずぐいーっと一杯。甘露甘露。次いでビールをくいーっと。甘露甘露。赤蕪漬と胡瓜の醤油漬、茄子の塩漬けも塩梅もよし。蕎麦(濃い目に煮込んだ鳥肉と葱、きのこ入り)もよし。あの、おねえさん地酒を冷やでいっぱいください。あのおねえさんお酒おかわりを。温泉玉子もください。ねえさんおかわり。


 帰りのバスでは、すぐにことんと眠りにおちていた。


 空は昨日と同じようにくらいが、夕食までまだ時間がある。ということで吉例の古本屋めぐり。一軒目は特に言うことなし。二軒目はまことにいい本屋でした。隅から隅まで店主の好みで統一されており、文庫一冊もよく吟味してある。うかがうと、店主はもと新刊書店につとめており、定年を期に古本屋を始めたとのこと。果たして「いちばんはじめは、『どうせいつかは処分しないといけないのだから』と、自分の蔵書を全部店に出しました」らしい。だから趣味が一本通っているわけですね。鯨馬は『世界のライトヴァース』『日本のライトヴァース』それぞれの揃を買った。探していたシリーズなので、割合安く手に入ってたいへん嬉しい。


 気温はぐんぐん(という表現は変かも知れないが)低くなっていってるというのに、探し物に巡り会えたうれしさで気にならず、町歩きの続き。土産ものも買って発送してしまう。


 夕食はさほど感心しなかったので店名は記さず。もっとも、この大時化でろくに魚も出てなかったろうから、この日だけの判断で評価を決めるのはちと酷だろう。二品ほど取って店を出、定食やみたいなところで鱈の味噌汁やら帆立のフライやら漬け物やらで飲み直す。その後昨日のバーへ。バーボンを飲みながら、沢口靖子似の、いかにも秋田美人というバーテンさんに「酸ヶ湯はすごい」とやや昂奮ぎみに報告する。もう一軒回ることも出来る時間ながら、約束があったのでホテルへ戻る。


 翌朝。六時半に朝食。お粥や炒り卵、大間のわさび漬けなど。味噌汁も熱々なのが嬉しい。部屋に戻って二度寝する。それにしても中学生とその親がなんであんなにおったんだろうか。受験の日だったのかな?

 

 空港行きのバスにはまだ余裕がある。古川町という、昔ながらの商店街にある市場を覗いてみる。煮魚で定食、でビール、おあと熱燗。という段取りを勝手につけていたのだが、見るにどの店も「のっけ丼用」として、アルミのパックに鮪やらホタテやらの刺身を一二片いれて売っている。各店で魚を買い、それを食事処に持って行って、飯に載せて食うというシステムであるらしい。店で魚を選べるのが少し目新しいと言えば言えるが、要するにこちらの嫌いな海鮮丼である。地元のオッチャンオバチャンが、焼き魚や煮魚より海鮮丼を好んで食ってる訳がないと思うんだがな。

 

 というわけで、結局駅弁のちらし寿司(これは好物)を買い、空港で食べた。


 「菜の花」の、山菜沢山の献立、八甲田のブナが一斉に若芽をふいた光景・・・と想像してみる。春に休暇、とれないものか。いや、それももちろんいいけど、やはりあの暗い海、粉雪を巻き上げて吹く風、音一つない雪の壁、当分脳裏を離れそうにない。

 

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津軽海峡は冬景色~青森初見参①~

 今回の行き先である青森は初めて。ともかく寒くて雪の多いところ、ということで選んだ。伊丹から一時間半あまり。空港ロビーを出ると、早速当方の願いが叶えられて一面の雪景色である。とはいえ予想していたよりは寒くなかった。何だこんなものか。素人の早のみこみはこの日の夕方には早くもたたきつぶされることになる。


 バスで青森市まで移動し、まずは市の中心部にある善知鳥神社にお詣り。善知鳥。うとうと読む。見たことはないが海鳥の一種だとか。ただし、この名前は以前から知っていた。江戸の戯作者山東京伝の読本『善知鳥安方忠義傳』を昔読んだことがあったからである。神域社殿ともに特に風情は感じられない(もっともここも一面の雪である)が、裏手に「安潟」なる沼があったのは面白い。正確に言えばかつての広大な沼のごく一部。この地に流されていた善知鳥中納言安方なるお公家さんの見た霊夢が神社の起源、となっているが、要は海のすぐ側に作られた町で海鳥、それに沼の名前を無理矢理くっつけたという訳である。城下町弘前とは違って、漁農主体の町人の町だったんだろうな、と考え考え昼飯の店へ向かう。


 歩道自体が雪に埋もれて歩く余地がほぼ無い上に、車道は傍らに雪が掃き集められて道幅が狭くなっているから実に危なっかしい。足を滑らせて転倒したところに、ブレーキが効きにくくなった車が突っ込んできたら一巻の終わりである。おのずと老人の如きよちよち歩きになる。この日の昼食は天ぷら。昆布と鯡とを塩・米で漬けた小鉢が旨かった。酸っぱく発酵させており(ハタハタずしのような感じ)、飯より酒に合う。当然熱燗を頼む。


 二合呑んでようやくかじかんだ手足もほどけてゆく。歩いて駅に着く頃にはすっかり冷え切っていたのだが。この日の午後は浅虫温泉に足を向けた。電車(汽車?)で四十分ほど。駅を降りても人が見えない。風がつよい。それはいいとして、冷たい雨がしょぼしょぼ降るのには閉口する。コートのフードをすっぽり被る不細工な風体で同じくよちよち歩いていく。途中すれ違ったおばあさんと二人の孫も同じような恰好で歩いている。見てくれよりも実を取る、といったところか。


 温泉旅館の並びが切れた少し先に浅虫水族館がある。というより、水族館があることを知って、ついでに温泉に入ろうと思い立ったのである。これも我が旅お決まりのパターン。


 さてお目当ての浅虫水族館はド派手すぎることもなく裏びれた感じもなく、ゆったりした気分で回ることが出来た。やはり一番の見ものはご当地水槽である。男鹿ならハタハタ、下関なら河豚、大分では関アジ、ここではホタテとホヤということになる。両者とも別に泳ぎ回ることもないのだが(当たり前だ)、なんとなく愛嬌があってよろしい。うーむ、晩はひとつ帆立の刺身でいっぱいやるか、という気分になる。なお、どの水族館にもあるタッチプール、ヒトデやカニは定番だが浅虫ではそのホタテが面子に加わっていた。手のひらに載せると貝がぱくぱくするのだという。親子連れに混じって載せてみたけど、オッサンの手に掴まれて不貞腐れていたのか、疲れていたのかぴくりともしませんでした。貝風情にハブられて、いよいよこちらも脈が上がったということですかな。


 水族館を出ても相変わらずの雨。雪よりも冷たいような気がする。震えながら歩いていく。駅前にも共同浴場はあるが、せっかくだから旅館の風呂を、と旅館街の端っこにある宿まで歩く(中途半端な時間で他に入れるとこがなかった)。観光客もいないし、土産物屋も開いていない。着いた宿でも、女将さん以外の人影がない。寂として静まりかえっている。


 当然ながら大浴場にも誰もいない。これは気分がいいものですね。存分に愉しみました。ここのお湯はややしょっぱく、肌触りはむしろさらりとしているくせに―と温泉評論家を気取ってみる―少し浸かっていると、じんじん効いてくる。駅に戻ってもまだ体の芯が火照っている感じだった。


 夕景ともあって、車内は高校生で溢れかえる(地方鉄道ではお馴染みの光景)。土地のことばでわあわあいってる会話を聞きたかったのだが、やっぱりここでも皆スマホの画面にじっと見入っており、ちょっと気味が悪いくらい静かなものであった。


 青森に戻り、しばらく町を歩き回る。目抜き通り(新町)の、駅近くはコンビニ、チェーン系居酒屋でどこも同じようなものながら、少し歩くと地元のスーパーなぞが増えてくる。短い滞在で何を言う資格もないけれど、他の同規模の地方都市に比べると空き店は少ないようである。人通りも結構ある。ただ四時過ぎで既に空は真っ暗。電光掲示板には気温0度とある。なんだか一刻もはやく呑まねばならぬ、という気になってきて適当な店を探してもさすがにこの時間で開いてる店はない。かといって牛丼屋でビールつーのもしたくない。実は駅前にある市場を覗くと刺身なんかで呑めそうだったのだが、そうなると晩飯の愉しみが薄れてしまうし・・・と懊悩のあげく、裏通りの立ち食いうどんに入り、うどんを啜りながらビールを呑む。急に歩くのが面倒になり、ホテルに帰って軽く休憩。


 のつもりだったが目を覚ますと店の予約時間近くになっていた。あわてて本町の割烹「菜の花」へ向かう。あわてて、といっても歩き方は例のペンギンスタイルなのである。


 この日はじめは当方ひとりのみ。献立を記す。

○先付=鱈の身を鱈の白子と卯の花で和えたもの。鱈が出て、「ああ東北に来たなあ」と感じがしみてくる。
○前菜=ずわい蟹の手毬寿司・数の子・薺のお浸し・蛸・バターを干し柿で巻いたもの。薺が良かった。菊菜に似て、あれよりもっと香りは穏やかでかつ高雅。まことに品格ある味である。鯨馬の如き俗物が口にしてすいません、という気になりつつ、綺麗に平らげる。
○酢の物=生蛸。柚釜ならぬ、橙釜仕立て。橙の汁をしぼると蛸が固くなるので、はじめはそのままでお召し上がり下さい、ご主人。前半くにゃくや、後半こりこりの食感の変化が愉しい。橙の香気でさあ呑むぞ!と覚醒する。
○煮物がわり=鱈の白子。上方の居酒屋でも出すが、ここのは湯がいてまだ温かいのに醤油をかけて出す。薬味はさらし葱。注して言う、ポン酢醤油にあらず。ご主人曰く「このあたりでは酸味を苦手にしている人が多い。北なので柑橘類があまり取れなかったせいもあるんでしょうね」。確かにそれもあるのだろうが、何よりポン酢では勿体ないからではないか。柑橘のきつい香りがかぶさると、この清らかで温雅な甘みは影も形もなくなってしまうに違いない。つまるところ、それだけ上質の白子なのである。
○刺身=一皿に一種ずつで出てくる。槍烏賊に胡麻をまぶしたもの。メヌケ(塩昆布と山葵で)。ウマヅラハギ(肝を身で巻いている。これはポン酢醤油で。あしらいは水菜)。鮪(新海苔の辛煮と山葵で。あしらいは甘草)。ひとつひとつ趣向があって嬉しい。それを言うと「ここらはみんないい魚ばっかり食べてるので、料理屋では一ひねりしないと怒られてしまいます」。ナルホド。しかしそのひねりが独りよがりの悪凝りになってならず、微妙な線を守っているところにご主人の感覚の冴えが表れている。鮪はさすが、という旨さでした。
○焼き物=鮟鱇の付け焼き。あしらいは白菜を炙ったもの。魚と野菜が互いに香気を高めあう、という風情。
○強肴=ねぎま鍋。鮪と葱、金時人参ブロッコリーが薄葛仕立ての汁の中で煮えている。

 気さくでしかも折り目正しいご主人とのおしゃべりも愉しみながら、この日は銘酒「田酒」の山廃純米だけでも燗で五合。ビールを呑む気にはちっともなりませんでした。


 (いつも通り)どこに行くか決めていない、という当方のことばを聞いて「雪がお好きでしたら八甲田がいいと思います。温泉もありますし」。八甲田山と言えばスキーか死の行軍か、という程度のイメージしかなかった人間は「温泉」の一語で俄然行く気になってくる。それにしてもいい店だった。春も夏も秋もいいだろうなあ。青森再訪決定。


 二軒目のバーも「菜の花」で教えて頂いた。しっとりした雰囲気のいいバー。「お通し」にスープが出てきたのだが、これがまた身にしみる。「菜の花」とは目と鼻の先なのに、それだけ体が冷えてしまうのである。だから、一杯目=バーボンソーダ、二杯目=ラムトニック、三杯目=バカルディ、となんだか滅茶滅茶、というか逆行したような飲み方に見えるだろうが、暖かい店を出るぞ、という時間が近づくに連れ、ぱんちの効いた酒を欲するようになるものなのである。

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四十而書

 三が日は出勤だったけれど、諸色高直の時節にも関わらずわざわざ御節ならぬ年末料理を作ったのは、アテとして好きなものが多いから。だから、海老の煮たのや伊達巻やらはむろん入れない。

○お煮染め(むしりこんにゃく、海老芋、蓮根、干し椎茸、牛蒡、慈姑)・・・冷めてもいける。というより、冷めたほうがダシの味がよく分かる。
○お煮染め「ず」(鯛の子、百合根、高野豆腐、昆布)・・・たっぷりのダシで炊き、醤油はほんの香り付けにとどめる。上に柚子の皮をおろしてかける。これも冷えた鯛の子をかみしめると、酒がすすみます。
○生ずし・・・たまたま極上の鯖を見つけた。片身は浅めに、片身はしっかり〆る。柚子もたっぷりしぼりこむ。
○なまこ酢・・・これもたっぷりの柚子をしぼって〆る。柚子ばっかり使ってるが、どうせ年が明けるとすぐ旬が終わってしまうから、使えるうちに使っておく。
○ごまめ・・・鷹の爪と一緒にしっかり炒り上げて、酒・酢、ちょっぴりの蜂蜜でさっと煮る。一尾一尾がぱらりと離れるように仕上げる。
○漬け物(酢茎・日野菜・赤蕪・白菜)・・・日野菜は塩と糠で、赤蕪は塩と酢と淡口醤油で、白菜漬は例の通り。酢茎も自分で漬けてみたいなあ。どなたかレシピをご教示してくださいませんか。
○唐墨・・・『播州地酒ひの』製。かるくあぶって、薄切りの大蒜とともに。
○焼き穴子・・・焼き海苔とおろし山葵で。
○生口子・・・おろし芋と合わせて。


 十日戎のころは冬の食物が一等旨い割りに、どこも不景気。もう一度この献立で延々呑みたいものである。


 三日は出勤後に、張龍たちと新年会。翌日は『海月食堂』夫妻を拙宅にお招きして鶏鍋とアテで新年会。こういう時は精励恪勤しております。それにしても敬士郎さん夫妻も鯨馬も、よく食べよくしゃべり呑んだ。誰もお茶もジュースも口にせず。口を動かさない時間はほとんどなかったのではあるまいか。


 さて昨年新しくなったものは二つ。ひとつは原付。どうも調子がよくないなと思ってバイク屋に持って行くと、「よくこんなのに乗ってましたな」と呆れられた。タイヤを交換し、空気をいれ、何を何してほにゃららら(よく憶えておりません)。同じヤツかとびっくりするくらいの乗り心地である。ま、四十三の我が体も「よくこんなのに乗ってましたな」と言われるんだろうなあ。年末の飲みっぷりを思い出してリツゼンとする。


 もうひとつは手習い。文人画がらみの展覧会に行くことが多かった昨秋、画賛や書簡の読解能力が著しく低下しているのにこれまたリツゼンとする。学生の頃は一応読めていたはずなのに・・・こういうものはやはり日頃からの経験が重要なのだが、どうせなら書くほうも修業してみようと思い立った。


 といって別段お習字教室に通うわけではない。ひと通り道具を揃えて、お手本をせっせと臨書するだけのこと。ただし手本はうんと格式あるものを、と池大雅千字文と、王羲之の聖教序、それに青蓮院流=御家流の習字手本。これで鯨馬の人格も大雅なみに寛闊文雅になるはずである。どうぞご期待下さい。


 年末年始の本は次回で。今年も御贔屓の程をお願い申し上げます。


 つちのえいぬ初めの日に詠める
相づちのえゝ加減なる酒(さゝ)機嫌 鬼のいぬ間にこれ呑め椀碗 碧村

 

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我、乱世にあり~双魚書房通信(17) ~

小川剛生『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』(中公新書

 

 中学校の教科書にさえ載るくらいの古典のことだから、作者に関してもう知られる限りのことは知られている、と誰しも思う(少なくとも評者はそう思っていた)。その思い込みを片っ端から粉砕してくれる快著。これほど衝撃的な新知見を、しかも盛りだくさん、啓蒙書で披露してもったいなくはないのだろうか・・・などと余計な心配をしたくなる。日本の中世文学に関する専門知識は必要ない。まっさらの素人(評者がそう)でも昂奮して読める一冊です。


 「京都吉田神社の神官を務めた吉田流卜部氏に生まれた出自、村上源氏一門である堀川家の家司となり、朝廷の神事に奉仕する下級公家の身分、堀川家を外戚とする後二条天皇の六位蔵人に抜擢され、五位の左兵衛佐に昇った経歴」を小川剛生は「造られた虚像」「出自や経歴はまったく信用できない」と小気味よく斬りすてる。


 断じるにはむろんそれだけの根拠がないといけない。社寺や公家の日記・記録などの記述を丹念におさえていることは専家として当然なのだろうが、評者には誰でも見ようと思えば見られる類いの資料を用いて鮮やかに読み解く=読み替える手際に感歎した。


 たとえば我々もなじんでいる「兼好法師」という呼びかた。兼好は七つの勅撰和歌集に十八首採られているが、その際の作者表記はすべて「兼好法師」。そして侍品(これは公家社会での身分秩序における最下層を意味する)以下の出家者は「凡僧」と呼ばれて「○○法師」と表記されるのだそうな。だから、五位の左兵衛佐になっていたのなら、「遁世しても必ずや俗名で表記されたはずである」。ナルホド。勅撰のような格式の高い集においてはこういう慣行は厳守されるだろうからな、と納得する。明快にして強力な論証。


 この例だけでなく一体に、鎌倉末期から南北朝の社会における常識・慣行のなかに対象を置いて見直していくのが小川さんの学風であるらしい。兼好の行動圏である六波羅周辺の住民層を検証して、「武士・宗教者・金融業者などがひしめく新興都市」と位置付け、そしてその空間のなかに是法なる法師の行動を追いかける所など。『徒然』百二十四段で賛美されるこの坊さんの、土地・金融取引の実態を跡づけた上で(「実に敏腕の経営者」)、「金融や不動産売買で巨万の富を得ようと、是法の信仰と矛盾することはない」。ナルホド。七百年前の都びとのメンタリティーがいきいきと伝わってくる。


 もっともこれは古典(にとどまらないか)文学研究の本道であるはずなのだけれど。殊に、個人の自我の発露や創意よりも伝統や秩序を重んじた中世社会にあっては、人の発想・行動には必ず倣うべき範型が存在する。和歌でいえば「本意」というところ。あるいはクルツィウス風にトポスと呼んでもいいだろう。「当時の社会では、自らは公的な場でどのように振る舞えばよいのか、相手に対してはどの程度の敬意を払えばよいのか―――すなわち書札礼、路頭礼といった作法を知ることが重要な教養であった。乱世であればあるほど、その後の復原力もまた強く働いた」。最後の一句は史眼の冴えを示している。


 詳密な伝記の再検討でありながら、作品の読みにあらたな角度を提供しているのも、優れた研究である証拠。兼好さんは「何事も古き世のみぞ慕はしき」、と内裏のくまぐまをほとんど恍惚として賛美している。過去の栄光の回想、という通説を著者はここでも退ける。兼好が実際に目にしたのは官庁御殿が連なる大内裏ではなく、「里内裏」(洛中の廷臣の邸を借り受ける)だったと指摘するのである。ナルホド。これだと、目の当たりにしているごく標準的な調度に「これこそ内裏!」とコーフンしているミーハーの姿が浮かんでくるわけだ。


 当時は、内裏に一般住民が入り込むこともふつうだったらしい。殿上人などは狩衣で儀式に臨むな、という禁令が紹介されている。略装だと公家が群衆に紛れてしまうのである。「我先争って紫宸殿に昇り、禁廷を埋め尽くす見物人の存在が前提となっている」というから可笑しい。そして、「兼好の内裏へ抱いた憧憬は、この日に内裏につめかけた住民のそれと違いのあるものではなかった」。


 この兼好像はすこぶる清新。この男の手になるものとしてあらためてあの本を思い浮かべてみよう。なにやら斜に構えた隠者の独り言はやがて音を潜め、かわっていかにも「町のひと」らしい好奇心と身ごなしの軽さと、少なからぬ軽佻さとが横溢するシャープなエッセイという姿がせり出してくるようである。かの有名な小林秀雄の文章(これも教科書の定番だったものだ)の、思わせぶりが阿呆らしくなる。

 乱世でありながら活気に満ち、下剋上が横行しながら伝統が賛美されるケッタイな時代を生きた、これまた矛盾だらけのケッタイなやつがものした一代の奇書。本来『徒然草』は教科書になんぞ採るべきではない、じつに愉快な読み物なのだった。

 

兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実 (中公新書)

兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実 (中公新書)

 

 

 

 

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皇帝的鮑

 シェアキッチン「ヒトトバ」での“一日だけの料理屋”「蜃景楼」二回目はコース形式。使い慣れない(そして狭い)調理場だから、作る方・食べる方双方にとってこのやりかたがいいようである。

 「舌尖上的変人合作」なるUさん手書きの献立を写し、いささかの注記を付ける。

○老酒汁三海味・・・十年物の老酒に、甘海老・槍烏賊・海月の三種を漬けたもの。香辛料も何も使っていない、とのこと。それでこれだけの味が出るから不思議。
○変人合作前菜・・・意味は分かりますね(鯨馬もこれだけは分かった)。内容は、生鮭を酢と山椒に漬けたもの、シューヨ(香港式焼き豚)、鶏の燻製(骨を綺麗に抜いてある)、中国風ピクルス、皮蛋豆腐(黄身は潰してソースに、白身は刻んで豆腐に載せる。豆腐は万願寺唐辛子を練り込んだもの)、レバーペーストをシュー生地に挟んだもの
○仁修一碗天香・・・要は湯(スープ)なのだが、これが凄いことになっている。皆様ご存じのシャンタン(上湯、上等の素材で引いたスープ)、あれをベースにして引いた湯がある。日本酒でいうところの貴醸酒の如し。これをティンタン(頂湯)という。この日供されたのは、更にそのティンタンをベースにして引いたもので、なんでもチントンシャンとかいって、おそろしく手のかかるものであるらしい。この上にはもうトテチントテチンというのとチリトテチンというクラスしか無いと聞いた。鼈と金華ハムと棗が入っていたのは憶えている。蒸して引いたものだから清澄きわまる。そのくせに、全身の細胞に染みわたって賦活するのが感じられるくらい深い味。酒(ワイン)は一時よして、香りと味わいとの交響に耳をすませることになる。
○燻魚牛蒡春捲・・・これも分かりやすい。鯖の燻製(玄米茶で燻す)と水菜を巻いたものを、牛蒡のペーストに付けて食べる。牛蒡は生姜と炒めて、スープで煮込んでからすりつぶす。「こんな手間のかかるもの、普段は中々出せません」と敬士郎さんが苦笑していた。
○蠔皇乾隆干鮑・・・干し鮑の煮込み。一切れを噛みしめると、いつまでもいつまでも旨味が湧いてくる。これはワインより老酒でやりたかったな。料理名になぜ清朝最盛期の皇帝の名があるのか。満州族と漢族との融和を図って両方の料理を一緒に出した(これが所謂満漢全席)。その趣向を取って山と海の珍味を取り合わせた料理に「乾隆」の名を冠するようになった、とUさんが説明してくれた(鮑の他、小芋と鶏手羽に糯を詰めたものが入っている)。料理に皇帝の名が付くところがいかにもあの国らしくて愉快である。本朝でも、天武鍋とか白河和えとか後醍醐焼きとかいった料理があったら面白いのに。
○甜醤香煎鴨甫・・・鴨ロースの焼き物。バターナッツのペーストを下に敷いて。ソースは甘味噌。添えられたルッコラがいいアクセントになっている。
○大閘蟹粉湯包・・・上海蟹の身をほぐしたのを具にした饅頭を餡かけにしたもの。餡にも上等のスープが使ってある。
○泡辣鯛魚麺線・・・煮込み麺。鯛を何匹も煮込みに煮込んでとった出汁だから、一口啜ると、鯛の香りがもわわわわ~んと広がる。香菜との相性は抜群。
○精彩美味点心・・・デザート。なんだったか記憶にございません。


 中華ばかりは素人では無理。「蜃景楼」に行ってもそう痛感させられたし、また後日南條竹則『飽食終日宴会奇譚』(日本経済新聞出版社)という、これまたスゴい本を読んでいよいよその感を深くしたのだが、一方でこれは和食でも活かせるんじゃないか、と思ったこともある。出汁を蒸して引くのもそうだし、卵を黄身と白身に分けて使うのもそう。造りに山椒を使うというのも、少なくとも当方の発想にはなかった。

 もっともスープを引いた壺はUさんの自作(丹波の窯で焼いてるそうな)。こればかりはどうしようもない。

 

 いい気分のままに、折角だから漢文口調での感想を作った。韻も平仄もなってないけど。


 甲南易牙聚/招牌老饕會/盡珍饌佳肴/上善宛如水

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