空飛ぶ烏賊

 人と会う約束をしていたので、久しぶりの雨の中を歩いてトアロードに向かう。行き先は『紀茂登』。一年ぶりくらいになるのだが、一本目を頼んで出てきた銚子は、初めての時にくれた錫の猪口のツレになるもの(「絶句した」で書きました)。おや、と思って前を見ると主人がニヤリと笑っている。どうもご無沙汰しておりました。

 この日は不愉快な相客もおらず、ゆっくりと料理をたのしむことができた。時々こういう正式(?)の料理で感覚をよみがえらせねばならぬ。献立は以下の如し。何度も書いたように、献立は一つの風俗資料としてあえて細々記している。コメントも含め、日本料理に関心のない向きはとばしてください。

○先付=生湯葉と海胆のジュレ仕立、豌豆のピュレ ※もちろん先付だから夢のように、ため息のようにすぐなくなってしまうのだが、マメ好きとしてはこのピュレをもっともっと堪能したかった。

○椀=車海老しんじょ、片栗と紫蘇の花 ※しんじょは少しばかりなめらかさに欠けるかな?片栗の花は、よく味がわからないが和え物に用いても洒落ていそうである。

○造り=かつを(黄身醤油)、金目鯛炙り(スモーク塩)、剣先(そのままと胡麻酢和えとを塩ポン酢)、鯛(山葵・醤油) ※金目の野趣横溢(直前に藁火で炙っているからとても香ばしい)もよかったし、かつをを黄身醤油で食べさせる工夫も関心した。主人は「戻り鰹と違って、脂が薄いから」という。それもそうだけど、かすかな血の匂いを黄身のコクでふんわりと包む感じがいい。これは早速真似してみよう。

○八寸=椎茸ほうれん草のブルーチーズ風味お浸し(もはや『紀茂登』定番)、三度豆胡麻和え(実はお椀や造りより、和え物や酢の物にこそ料理屋と素人との違いがはっきり顕れる、という持論の正しさを再確認させてくれる出来)、蛸とオクラの酢の物(前項に同じ)、アスパラのジュレがけ(これが尤品。アスパラは緑と白を一口大で。ジュレは浅蜊の出汁。さくさくと噛みしめるごとに浅蜊のジュースがほとばしる)、あと二品は五月ということで鯛のなれ鮨と蒸し穴子の鮨のちまき仕立て(鯛のなれ鮨が瀟洒な味)。

○酒肴=かつをの皮の酒盗和え(こういうのとも和えというんだろうか。ともかく酒盗はしょっぱくも苦くもなく、皮はいい具合にこりこりして、まさしく酒盗

○酢物=トマトジュレ(トマトの品種名は失念。酢の効いたジュレで、どちらかといえば濃い目の味付けの八寸の後口を洗おうという心組み)

○蓋物=甘鯛蒸し物(茗荷の細打ち・芽葱・貝割をふんわりとかぶせて。悪くなかったけど、これだけのぐじならば若狭焼か幽庵焼で食べたかった、といううらみをのこす。ここの焼肴はそう思わせるくらいおいしい)

○食事=飯・シャトーブリアン(辛子醤油で。一切れで一碗飯が食える)・吸物(新物の青海苔。うんと塩気を控えた仕立てがよかった)・香の物

○デザート(と書いたが、なんかいい呼び方ないものか)=ブラマンジェ、二十(?)種類だかの柑橘の果汁を混ぜたジュース、小豆案を薄皮に包んで揚げたもの(甘味に関しては熱心に記憶しようとしてない)、生のパイナップルに白ワインを泡立てたものをかけたもの(よくわからんが、たしかスペインにある《世界一のレストラン》が出し方にこういう工夫をしてたような)、お薄

 他の客がひけた頃、横の一組(ご夫妻)とだいたい同じタイミングで食事が終わり、自然と主人を交えて談笑することになる。和服で接客していた奥さんは二人の子育てに専念中とのこと。そういえば前来たのは奥さんのお腹がまださほど目立たない時だったもんなあ。今度店を大幅に改装して、カウンターのみ、とはつまりテーブル席を無くしてしまうのだそうな。もともとこちらは腰掛けの割烹が日本料理にとって理想の形と信じているので(むろん庭や掛け物などのしつらいまで愉しませる料亭は別領域として)、それはそれで結構なことだが、テーブル席をなくすにいたったいきさつやその他の話の端々に、ご主人のヘンクツぶりがにじみ出る。上方の料理人としてはもっと物腰やわらこうしてたほうがよろし。という意見もありうるだろう。お若いさかいに。という見方もできる。

 こちらがどう思うかと言えば、ま、別にかまへんのとちゃうのん。というところ。酒を過ごして考えるのが億劫になったせいにあらず(この日は「鷹勇」二本に、「天狗舞」と「山笑(やまわらう)」)。ではなくて、お店と付き合っていくのはやはり五年十年をかけてでないと意味が無い、したがってそれまではああこうと評価することもないと思い始めているのである。

 外に出ると雨はまだ止まず。といって蒸し蒸しするほどでもなかったから、歩いて北野坂まで行き、贔屓のたかちゃん(というママ)のところでしばらく呑む。たかちゃんは一見きりっと和服できめた、いかにも「三宮のママ」らしく見える美人ながら、話してみるとじつに・・・トボケっぷりの鮮烈な人柄。今度炭火焼きの店も始めたのだとか。和服のたかちゃんが目の前で、貝や魚を炙ってくれるのだそうな。

 「今日もお客様に焼けた蛍烏賊をお出ししようとした時にお箸が滑った勢いで、つるっ、びゅっ、と烏賊を飛ばしちゃったの。がはははは」

 どこまでも豪快なたかちゃんなのである。今度はひとつその烏賊航空ショーというやつを拝見しに参りましょう、わははははと応酬しているうちに、雨が上がった三宮の夜は更けてゆく。

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