宴の余韻

 奈良に遊んだ翌日は同僚との飲み会。一応焼き肉屋での開催ではあったのだが、いやあよく呑んだ。ビールから始まり、赤ワインが四本?五本?店の在庫が切れるまで呑んで肝腎の肉が添え物のようになってしまった。一人で平らげたわけでは無論ないけれど、こちらは昨日、これは完全に一人で二本(奈良で一本、神戸に戻って一本。これを騎虎の勢いと申します)空けている。みんなでお茶をしたあとはさすがにくたくたに疲れてタクシーで帰る。
 酔っ払っていたわけではないから、翌日も二日酔いではないものの珍しく昼前に起床。疲れてるんだな。このままジムに行くと、プールで心臓マヒでもおこしかねないわいと一日ゆっくり読書してすごす。コンセプトは無し。雑然と積み上げたものを突き崩していく。 山田風太郎『国定龍次』(ちくま文庫)。「幕末小説集」のうち。主人公が国定忠治の遺子という設定からの連想ではなく、これは正調ピカレスクロマンだと思う。侠客のような「裏」の世界が「御一新」の光に陵虐されて、凄惨な、関西弁でいうところのえげつない結末を迎えることは風太郎の愛読者にとってはおなじみの光景である。しかし勘違いしてはいけないのが、この「裏」世界は「御政道」の宰領する「表」の世界と原理的に相容れないものでも絶望的に対立するものでもない、という点である。むしろ両者は撚りあわされた一本の糸のように存在している。あるいは互いに陰画の関係に立つ(ネガ―ポジの関係ではないことに注意していただきたい)。イタリアのマフィアのようなものか。シモネッタ=田丸公美子さんは、マフィアのボスが逮捕されたとき、「彼の要求するみかじめ料は妥当な線だ、彼が消えて次にくるボスはどんな無茶な金額を出してくるかも知れないから」と商店主たちが釈放請願のデモをした、というエピソードを紹介していた。
 スタール夫人『ドイツ論』(鳥影社)。ご存じ、ナポレオンの「政敵」だった才女のドイツロマン主義論である。こちらが贔屓のタレーランの愛人ということで興味を持っていた。内容はともかく、図書館では「各国事情」の棚、つまり通俗的な観光本の類と並んでおかれていたのには失笑した。007シリーズの『ドクター・ノオ』が医学書の棚に分類されていたという、ホントか嘘かわからないようなエピソードを思い出してもう一度笑う。 あとはミシュレの『フランス史』中世篇(これは書評でも扱ったフリードリヒ二世つながりで)やジョン・ランチェスター『最後の晩餐の作り方』(ずいぶん凝った小説である)、安東次男連句入門』(なぜこれを読み返しているかは、また後日説明します)など。
 いい加減読書にも倦んできた頃合いに風呂を浴び、さっぱりした気分でまたもやトアロード『紀茂登』に出かける。献立は以下の如し。

○先付  とんぶりのとろろ和え、蒸し鮑・車海老・生雲丹をのせて(天盛りに山葵)
○飯蒸  穴子・むかご
○椀   松葉蟹と湯葉のひろうす仕立て鶯菜、柚子
○造り  鯛、さわら(藁火で軽く炙って)、菊花膾
○八寸  玉子カステラ、鴨ロース、揚銀杏、しめじと菠薐草のブルーチーズ風味浸し、あいなめ揚げおろし(あいなめは半生)、いかのフォアグラ和え(ぴしりと塩気が効いている)、胡麻和え(大徳寺麩、椎茸、菊菜、菊)
○酢の物  松葉蟹ジュレがけ
○焚き合せ  伊勢海老、かぶら、大黒しめじ、小松菜
○飯 「おかず」は三田牛ヒレを炙ったものと海老芋を炊いたあと揚げたもの
○菓子 栗きんとん、果汁(林檎)、梨と柿のジュレ、メープルリキュールのブラマンジェ、抹茶

 さわら(藁の香気が素敵)と胡麻和えが秀逸。また小松菜や菊菜など野菜の歯切れがさくさくとして旨かった。

 連日の美食に気がさす・・・なんてことはない。 明日からはまた弁当をこしらえ、酒肴二三に一盞かたむける日が続く。これは耐乏生活ではなくて、これはこれで充実したものである。


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