連句百鬼夜行

 正岡子規俳諧の荒療治をやってのけた結果、明治以降はすっかりはやらなくなってしまったが、歌仙という形式がある。今風の言い方になおせば連句。つまり複数の参加者(連衆)で他人の詠んだ句に付けていくやり方である。五七五と七七を交互に付けていく。全部で三十六句になることから歌仙という。付け方には様々な規則があるがそれを説明する場ではないので、関心のある向きはインターネットででも調べていただきたい(SIG(Special Interest Group)電脳連句というサイトが親切に解説しています)。
 こちらは一度独吟(つまり一人きり)で試みたことがある。なかなかおもしろいものだけど、やはり何かきっかけがないと手を出しにくい。その契機が天からふってわいたようにやってきた。大学(及び大学院)の恩師が弟子を集めて連句興行をしたいとおっしゃっているというのである。
 師匠は去年大病をして自宅療養中である。先輩から時折来るメイルによれば回復は順調らしいのだが、気がかりな状態には違いない。教え子と会おうというお気持ちになったとすれば、気力・体力両面での回復ぶりも察することが出来る。こちらも嬉しい気分で、師匠の邸宅に参上した。集まった教え子は当方を含め九人。うち六名は大先輩に当たる方々。それに師匠と奥様で都合十一名の会となった。
 起居や言語に若干不自由なところはうかがえるものの、血色もよく受け答えの内容も以前に変わらない。つまり辛辣にしてかつ天衣無縫。
 この日が初回ということで、順番を決めず、全員が投句して宗匠(むろん先生の役回り)が選び出すやり方(「出勝」という)をとった。自分の句にいかなる批評が浴びせられるかとひやひや顔で臨んだ人が多かったと思うが、師匠の不死鳥ぶりを目の当たりにしてみなさんにこにこ顔。和やかな雰囲気、というより高談爆笑のうちに句作が進んでいった。
 当方としては次回以降の心覚えとして、それにまた連句の見本(お手本の意にあらず)として、この日の半歌仙(時間の都合で十八句となった)をお目にかける。発句の「鶴唳」は〝鶴の鳴く声″。つまりは師匠の「鶴の一声」である。これは最年長の先輩が正客となって出したもの。それに師匠が脇を付ける。第三から「出勝」方式による。

鶴唳にゆかしきかほのそろひけり           双兎
   つやもよろしき生みたて玉子          燕語
山里に書(ふみ)読む日々のうち過ぎて        碧村
   窓からあふぐ空ははてなし           梨映
後の月流るゝときもゆるやかに            好翔
   障子にしるきさんま泥棒            里女   
破レ寺にふつとしづまるくつわ虫           碧
   恋はせねどもエロはする也           庭玖
その男知らざるまゝに老いの恋            綺
   茂吉記せりあなたはどうして          双
空あをし脳病院のテロリスト             熊掌
   手旗信号振れ高みより             里
半島は油照りなり昼の月               碧
   しいらの金もしづむ黒潮            里
海上の道をかなたに行かまほし            双
   夢見る朝にひげをそる哉            熊     
お白洲に散る花しらず吾子の笑み           綺
   肩越しに見る春の虹の色            梨

 当方の「入選」は三句。ただし、途中から「おまえの句は達者すぎるので《番外》とする」と師匠からご託宣があったことも書き添えておく。これは自慢のようにきこえるかもしれないが、純然たる自慢です。
 半歌仙巻き上げたあとは吉例で酒宴(先輩の手打ちといううどんが滅法旨かった)。もっとも師匠は呑まない。ご自分は召し上がらないまま、いずれおとらぬ猩々連の赤ら顔(先生が呑めないからといって遠慮するがごとき弊風は当ゼミには無し)を穏やかに見て笑っていらっしゃる。超越というか達観というか悟達というか。
 放談の内容は主に、全盛時代の師匠の旧悪暴露。三日三晩飲み続けたというのが比喩ではなかったこと、三宮で飲んでいて突然タクシーを飛ばして中国地方のさる県に行っちゃったという伝説の、伝説にあらざることなどを確認した。こちらもかろうじてその時期の師匠の飲みっぷりは存じ上げているが・・・・それにしてもすさまじい。
 弟子達の空っぺたに師匠があきれて一回こっきり、という顛末も考えないではなかったが、いたくご機嫌よろしく、「定期的にこの会をやろう」。やった!

 この日、帰宅して寝たら夢を見た。この面々と三日三晩飲みつづけているという内容だった。

化け物の夜話長し冬の月  碧村

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