裏側から見た日本史

 冬の献立であまり鍋に頼りすぎるのも無精なようで気がさしますが、こんなに寒くてはねえ。本を読みつつ、酒を呑みつつ食べるんだから、鍋以外の料理だとすぐに冷たくなってしまう。

  とはいっても、ずっとおなじ鍋でもつまらない。久々に酒鍋をして、これが旨かった。佐々木久子さんか中山あい子さんかがエッセイで紹介していたと思うのだが、これは水を一滴も用いない鍋である。清酒を一升まるまる鍋に注ぎ、具材は豚ロースの薄切りと菠薐草だけ、という変わり種。当方は少しアレンジする。

  清酒を一升、は同じ。家の酒塩は「黒松白鹿」の純米。色々試した結果、これに落ち着いている。板昆布で出汁をとる。これは本式ではたしか無かったはず。豚はロースも用いるが(できれば肉屋で厚切りしてもらう)、バラも半分ほど混ぜる。菠薐草はさっと湯がいて水によくさらし、アクを抜いておく。あとは薄揚を細く刻んだもの。油抜きはしない。以上。

  さっと火を通したあと、ポン酢醤油にさらし葱、七味、切り胡麻、針柚子、柚子胡椒といった薬味をそろえて細かに味を調え食べるわけであります。意外と酒臭くなくあっさりしていて、しかもコクがある。つまり酒が進む。したがって読書の興も乗る。

  最近凝っているのは古典文庫という国文系の叢書に収められている『日本史伝川柳狂句』なる大シリーズ。「大」というのは、全二十六冊にもなるからである。題名通り、日本史上の有名な場面を川柳(狂句)仕立てで茶化したものを、上はイザナギイザナミの神代から下っては曲亭馬琴、つまり江戸の後期までずらっと並べているのである。編者は川柳研究の岡田三面子。

  有名無名取り合わせていくつか拾ってみると、

  道鏡崩御崩御と詔(みことのり)  (注はいいでしょう)
  清盛の医者ははだかで脈を取リ   (これも注は不要だと思う)
  玉藻ツイ梵字を読んで咎められ   (天竺にあっては斑足太子の塚の神・・・の九尾の狐である)
  塩俵柿やぶどうの戻り足   (越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄に塩を送る)
  まんぢうのアンにたがはぬはかりごと  (加藤清正毒饅頭一件)
  六文を四十弐文にはたらかせ      (大阪夏の陣真田幸村の六人の影武者。いうまでもなく六文は真田の家紋・六文銭
  
  赤穂浪士の騒動となると、あまりに句数がおびただしくて選びようがないくらい。
  にやっと笑ったり、爆笑したり、イヒヒヒヒと厭らしい声を出したりしながら愉しんでいるのだが、それにつけてもこういう歴史認識、とはつまり、名場面とエピソードの連続がすなわち歴史である(それのいちばん技巧的な形をとったのがさしづめシュテファン・ツヴァイクの『人類の星の時間』あたりか)、という世界観をもった近世人の心性、まことに量りがたいものがある。

  最後の審判も、共産党一党独裁も、はたまたそれら「大きな物語」の消滅も、「歴史の終焉」も「文明の衝突」も知らなかった人々の作り上げた、様式と美学に完璧なまで縛り上げられて自律していた江戸(それはイザベラ・バードのいうアルカディアだろうか)のことを思うと、なんだか切ないような、眩しいような、茫とするような心持ちにいつも襲われるのであります。


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