山のこなたにけむるもの

 日曜日は『いたぎ家』「昼酒の会」にて「浪乃音」をばたっぷりいただき、翌日は『播州地酒ひの』で取り混ぜてたっぷりと呑んだ。日野さんもブログで書かれているが、「獺祭」の桜井社長が隣で呑んでいた。関西ではへえーてなもんであるが、剣菱を超える石数ときくと、その成長ぶりが納得される。桜井氏の話の中で、農協をたずねた時(むろん酒米山田錦の増産を掛け合うためである)の、ノーキョー職員と農家の頑迷さが印象に残った。TPPに反対する前に、日本の消費者から見放されないための努力も必要なのではないか。むろん消費者というtheGreatBeastをどう飼い慣らすかは別問題だけど。いや、とっくに飼い慣らされてるか! もとい、成熟させるかは別問題だけど。

 常用の銘柄ではないけれど、それにしても「獺祭」とはゆかしい名称である。一応書いときますと、元は文字通りカワウソが獲った魚をならべた様子だが、そこからの連想で書物を机辺にちらかしているという形容にもなった。子規が「獺祭書屋」と号したのはまずまず知られているか。子規の文章にもふだん親しんでいないけれど、もう一人「獺祭魚」と号した(というかこちらが元祖)唐の李商隠は大好きな詩人。最近は岩波文庫で一冊本の選集が出たから読みやすくなった。

 というわけで、李商隠や子規の足下にも及ばないのは言うまでもけれど、長々旅の感想と綴ってばかりだったから、ここらで一つ、双魚版かわうそまつり。

 肩の凝らない本から参ろう。
◎サー・ピルキントン=スマイズ『世界の奇妙な生き物図鑑』(エクスナレッジ)・・・内容は題名通り。いかにもイギリス的。つまり、『へんないきもの』三部作に比べたら、表現の毒やアクはかそけきもので、動物学的な記述としてもやや物足りない、大らか(大味)な本である。ま、それをシブミと見れば見られないこともないわけで、何カ所か笑えた。それよりもこの本で紹介されていた「シュミット痛み指数」というのが凄い。なんでもそういう名前の生物学者が昆虫に刺された時の痛みを段階的に分類しているのだそうな。笑えるのはこのヒトが、どうも自分で人体実験した成果(!)のようなのである。ワインを論評するかのごとき、詳細にして奇天烈な比喩がいい。こういう学者がいる世界、生きてるのも悪くないな、と思う。弾丸アリに噛まれたいとは思わないが。

◎小長谷正明『医学探偵の歴史事件簿』(岩波新書・・・個々のエピソードは興味深いものの(著者の叔父は昭和天皇侍従長だった、といってスクープもののネタが披露されてるわけではない)、もっと医学史的展望を見せて欲しかったという感想は性急に「意味」を求める人文系の悪癖か。いや、「消費者」的悪徳なのかもしれない。

◎中原一歩『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)・・・ご存じ『近藤』主人の評伝。天ぷらは鮨と違って、仕込みも下ごしらえも出来ないから余計鮮度が大事、という発言にびっくりした。なるほど。著者はブログ子より年少だが、築地市場に何度も足をはこぶなど、文章が空回りしていないのが好もしい。肝腎の天ぷらの味を叙述するときは、もう少し筆を惜しんだほうが効果的だったのだが。それにしてもここまで身体感覚と料理に対する考え方がうつくしく一致した料理人とは、やっぱり名人芸の「職人」というしかないんだろうな。月末また金沢に行くから、『天ぷら小泉』の小泉さんに聞いてみようっと。

◎関容子『勘三郎伝説』(文藝春秋)・・・つらい本。こちらのように、生で中村屋の舞台を見たことがない人間でさえ、この役者の中の役者の早世が、読んでいて胸を突き刺すように思えるほどなのに、加えていつもの関さんの俊敏(つまり頭がいい)でしかも心やさしい文章が、少しく性急で、痛切な味わいのものになっていて、そこから著者の悲しみの深さが透けてくるから、よけいにつらいのである。ちなみに、若手役者が次々と病気で倒れたり中村屋のように早くして亡くなったりするのは、松竹のあこぎな営業方針のためだとぼくは考えている。あんな滅茶苦茶な興行スケジュールでまともな体調を維持できるはずがないではないか(芝居に手を抜くならともかく)。松竹栄えて歌舞伎は滅ぶ。

中井久夫『精神科治療の覚書』(日本評論社)・・・文字通り「治療」という現場がテーマになっているにも関わらず、素人がすらすらと読み通せたのは、言うまでもなく中井先生の透徹したスタイルによるところが大きいが、それ以上に精神科の治療が普遍的な枠組みの中でとらえられていることにも起因する。こちらも読んでいていくつかのヒントを得たものである。

阿部公彦『文学を〈凝視〉する』(岩波書店)・・・これは大学の先輩に教えてもらった本。なるほど、学会、というより学界の流行語を並べずにしっかりエッセンスを語れる力はたいしたものである。誰だ、文学研究(文学批評)を着実な文体で書いてはいけない、と決めたヤツは!

 その他、書名のみ(文字通りの獺祭状態)。
◎河添房江『唐物の文化史』(岩波書店
◎岡照雄『官僚ピープス氏の生活と意見』(みすず書房
トルストイ『白銀公爵』(岩波文庫

 しかしなんといっても最近の収穫は、
富士川義之『ある文人学者の肖像 評伝富士川英郎』(新書館
である。これは「双魚書房通信」で別に取り上げる(久々ですな)。

 洗濯物を干しにベランダへ出ると、北側に見える山の真ん中くらいにもにゃもにゃとした塊が目に付く。藤の花なのだろう。なにやら気にかかる薄紫のかたまりを心にそのまま残しておくのも悪くない、と思ってそのまま確かめずにいる。
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