金沢

 白山比咩神社の境内にもほとんど雪は無かった。義理堅く立春春一番が吹いて気温が異様に上がったせいらしい。一年前は三十数年ぶりとかの大雪で営業を休んで雪かきに追われたのを思うとまるで嘘のよう。

 

 とは『料理旅館和田屋』の仲居さんの話。今回当方が通されたのは一階の部屋で、目の前に池が見えるのだが、そう聞くと鯉の動きも心もち潑剌として見える。暖房もすぐに切ってもらったほどで、床の白椿と千代女の軸(「竹の音丸ける頃やみそさゝゐ」)にわづかに冬の気配を探る、といった按配。

 

 二年ぶりなので、「ジビエ尽くし」のコースを頼んでいた。料理以下の如し。酒は『菊姫』「鶴乃里」。やはり酒はその地で頂くのが一等旨い。

 

○前菜(菜の花ひたし、せんな粕漬け、鴨ロース、鮎粕漬け、鱒の松風焼き、柿とチーズ)

○椀(雉と能登椎茸の白味噌椀。どうせなら寒いなかふうふうしながら啜りたかった)

○造り(岩魚、ごり)

○焼き物(岩魚)

○煮物(熊鍋。岩魚を炙った囲炉裏に鍋を掛ける)

○しのぎ(岩魚の親子鮨。身と飯を大根でくるみ、その上に卵をのせている。じつに可愛らしい)

○蓋物(すっぽんの茶碗蒸し)

○強肴(鹿のソテー、バルサミコソース)

○飯(芹飯。彩りも香りも芹好きには堪らぬ。残りはおむすびにしてもらった)

 

 鶴来から金沢まではタクシーで戻る。北鉄金沢線は、周囲の風景といい列車の揺れ具合といい旅先の昼過ぎにはまことに結構な乗り物なのだけれど、時間がかかるのでこの日は行きのときだけ使った。

 

 無論金沢市内に雪は影も形も無し。ホテルで小憩の後、いつも通り足に任せて歩き回る。月曜だったせいか、長町辺りでも惧れていた程観光客の姿はなかったものの、知らない店がいくつもいくつも出来ていたり、新しいホテルをまだいくつも建ててるのには鼻白む。暖かいとはいえ北国二月の夕暮れの暗さのなかをいつしかとぼとぼ歩いているのであった。

 

 晩飯はここもお馴染み『天ぷら小泉』さん。鯨馬を除くとアジア系外国人ばかりというのも二年以前には無かった光景。もっとも、さすがに馴致されたのか比較的裕福な層が来るのか、皆穏やかに「辛口の酒を燗で」とか注文していた。

 

 この日のコースは、

○先付(ばい貝の酢味噌)

○造り(なめら(ハタである)、がす海老)

○椀(鴨と丸葉春菊、真薯、干口子)※春菊も干口子も小泉さんは英語で説明していた。「なまこノ腸ノ乾シタモノ」なんて言われて分かるんだろうかしかし。

に続いて天ぷらで、

○海苔の天ぷらに生海胆を乗せたのと、烏賊を乗せたのと。

○車海老二趣(そのままのやつと、頭のミソを残して揚げたのと)

○蕗の薹

○蟹

○牡蠣

○菊芋

能登椎茸

○鰆

○タラの芽

○海老頭

 最後に天ばらが出て、苺。「これは是非たっぷりまぶしてどうぞ」と出て来たのは和三盆。なんともすずしい甘さだった。酒は『宗玄』の「隧道蔵」というのが良かった。その名の通り、トンネルの中で寝かせたのだそうな。

 着たのは五、六回という程度ながら、来る度に天ぷらが旨くなってきているような気がする(前が旨くなかったわけではないのだが)。小泉さん、たしか茶の湯をやってらしたはず。一度懐石料理を食べてみたいなあ。

 

 その後が『quinase』で呑むのは、そもそもこの店を教えてくれたのが小泉さんだから、当方としては理の当然というところ。四杯で構成してもらった。はじめはシャンパーニュ。二杯目がブルゴーニュで、あとはこちらの希望でラム、そしてマディラ。

 

 金沢も変わったがこちらも変わった。この夜はこれで御帰館と相成る。ホテルのベッドでしばらく、金沢を叙した吉田健一の文章のあれこれ、その中のくまぐまを思い出し辿り返ししていた。

 

 翌朝は『和田屋』の芹飯とカップ味噌汁で簡単に済ませ、駅の方へ。これだけ訪れた割には港方面を見てないことに思い至って足を向けようと言うわけ。エムザ前で恰度金石行のバスが来たので取りあえず乗ってみる。正確な位置関係は把握しとらんが、ニューギニアの奥地に来てるのではなし。何とかなりましょう。

 

 途中、金沢駅から西の方は有り体に申せば埃っぽい市街地であって、特に奇とするものはない。ただバスの終点から歩き出すとすぐに車の音が消え、大きな蔵が見えてくる。金沢関連の本に、そう言えば大野の辺りは醤油醸造が盛んと書いてあったはず。年間を通して雨の日が多いことが良い条件になったらしいが、この日は上着も脱ぎたくなるくらいの晴天。ともかくも静かな町並みをゆったり急がず歩いていく。

 

 途中は海沿い(でも海面は見えない)の一本道が延々続くのに閉口したが、こまちなみという大野の中心地区の眺めは堪能できた。統一され、しっとり落ち着いた町屋が固まっていて、これは小声になるけど金沢の中心部よりよほど眺めがいい。観光客は誰もいないのもよろしい。

 

 こまちなみの中の立派な鮨やに食指は動いたものの、港近くに食堂があるらしいので今回はそっちを採った。昨日はオーセンティックな店ばかりだったしね。入ったのは十一時過ぎで初めは此方ひとりだったのに、三十分も経たないうちにほぼ満席。飯はいいので、アオリイカの刺身とキスフライを頼んだところ、大瓶ビール2本でようよう片がつくような量であった。さすが『厚生食堂』。無論船員の福利厚生という意味である。いかにもスマホで検索してきましたという観光客に交じって、これまたいかにも船員(船員くずれ?)というガラガラ声のおっさんが昼間っからコップ酒をちびちびやっていた。敬礼。

 

 かなりお腹がくちくなったので金沢駅まで歩いて戻ることにした。これは相当な距離なのである。天気は上々にしても、ともかく見るべきものの無い大通りで(県庁の他は、家具屋が多かった。土地が安い所為だろうか)、酔狂な旅人もようやく倦んできたあたりで駅が見えてくる。

 

 当然次は立ち飲み屋を探したのであったが、昼間で開いてるところと言えば近江町市場の中の一軒くらい。覗いてみるに観光客の喧噪、あたかも道頓堀かUSJの如し。さっさと退散し、結局は昼からぶっ通しで開けている、どこにでもありそうな居酒屋でハイボールをがぶがぶやって色んな渇えをなぐさめたのだった。

 

 ここまではまあ、一勝一敗といったところ。このあとは実にもう、連戦連勝の勢いであった。

 

 まずは温泉。何時間も歩いて棒になった足をもどすべく、某ホテルの屋上温泉に立ち寄る。いくら気温が高めといっても、二月の金沢、それも屋上の露天温泉である。浸かった瞬間に恍惚とする。おまけに片町交差点のすぐ側に立地しているので、中心部を上から見渡せるという余禄にもありつける。もっとも右にも左にもホテルらしい建築現場が否応なく目につくのには憮然としたが(そういう当方も高層ホテルの屋上にいるわけだが)。驚喜したのは、犀川上流の方に白山山系と思しき白く光る山並みがちらりと見えたこと。紅塵の巷から眺める「白山」はほとんど白昼夢のようだった。

 

 すっかり気分が良くなって広坂から新竪町にかけて散策。塗りの汁椀と九谷の角皿のいい具合のがあれば、と器・骨董の店を見て回る。結局両方とも行き当たらず、いつものように『オヨヨ書林』で数冊買っていったんホテルへ戻り昼寝。

 

 二日目の夕食は初見参の『八十八』。「はとは」と読む。木倉町も何度も歩いたが店に入るのは初めてなのだった。割烹よりやや居酒屋寄りの小体な店。元和菓子屋という風情ある建物をいい感じに再生している。食べもんやするならこういう店構えがいいなあと考えているうちに先付の茶碗蒸し(白魚と蕗の薹)が運ばれて来た。洒落た味。

 

 こういう所なら、と珍しく注文した鰤の刺身は芽ネギ・柚子・塩昆布などをあしらった、肴によく合う仕立て(鰤は酒より飯のオカズに合うように思う)。

 

 鱈の真子の旨煮も、同じく白子と葱の小鍋も、鯛わたの塩辛も按配よし。言葉少なで笑顔が素晴らしい御主人も御内儀の人をそらさぬもてなしもまたよし。銚子のお代わりもだいぶ進みまして、あれだけ歩いたのだから穏やかに一軒で帰るべしとの決意もどこへか、お勘定を済ませると、早速ナミコさん(御内儀)が奨めて下さったバーへと足が向いてるのでありました。

 

 あれ、ここ前はステーキか焼肉の店でしたよね。それが閉めたあとをバーに使ったのだそう。テーブル席のあたり、道理で贅沢な空間の使い方をしている。

 

 観光客がふらっと入れる所ではないのだろう(路面店ではない)、当方を除いてみな地元の常連さんばかりのよう。なるたけ空気を乱さぬようトーンと話柄を選びつつ、バーボンとカルヴァドスを愉しむ。とはいっても気兼ねしてる感じはないので、イケメンマスターのショウタさんが上手に相手をしてくれてたのです。

 

 と、角をはさんで隣に新手の客が。と思ったら『八十八』での相客なのだった。向こうは家族連れで話はしていないが、向こうから話しかけてきた。さっき、旅行客で次ここに来ると耳にはさんだ。ちょうど行くとこだったから。なんでも水産関係の大きな会社のえらいさんで、この店も毎週来ているとのこと。といって偉そうにするわけでもなく愉快な方で、談笑しながらついつい杯数が重なる。ここでショウタさんから提案があった。

 

 すぐ近くに元々働いていたジャズバーがある。これだけ召し上がるのでしたらご旅行のなぐさみにもう一軒いかがですか、とのお誘い。毒喰らわば皿まで。ではおかしいか。洋酒飲むなら樽まで。ドラクエするならロトの剣まで。○○するなら××まで。付き合いましょう。しかしここの店のほうはどうなさるので。

 

 マスターの同級生だという調理担当くんが「こういうことよくあります」と苦笑。ではあとよろしくー。

 

 というわけでショウタさん及び水産氏と三たり連れで犀川べりの件のバーに繰り込む。ちゃんとステージがあってマダムも唱うというなかなかの規模の店だった。こちらはジャズには全く縁がないので、マダムの艶のある声を愉しみながらバーボンをぐびぐびやるのみ。ショウタさんもあちこちの常連客に呼ばれて忙しそう。相当皆さんに可愛がられていたんだろうな。挙げ句の果てにカウンターの中で洗い物まで始めたのは気の毒だったけれど。逆にショウタさんもこの店好きだったんだろうね。実際磊落という形容がふさわしいマダムも、元気よく働く女の子たちも(健康な色気と言わんか)気持ちよい。

 

 横で水産氏がこっくりしだしたのを潮に立ち上がろうとすると、反対隣にいたS氏―元常連で、赴任先から久方ぶりに呑みに来たとか―からお声が掛かる。「〆にもう一軒いかがでしょう」。

 

 ・・・竜王倒したら宝箱コンプとも言いますし。ポーランドに攻め込んだらパリ陥落までとも言いますしね(言わない)。お付き合いさせてもらいまひょっ。

 

 四軒目はいかにもそれらしく新天地のなかにあった。こここそ観光客、どころか金沢の方でも一見では入りにくい超ディープゾーンではないか。注しておけば、ここで言う「入りにくい」は『つる幸』や『つば甚』が入りにくい、というのと正反対のニュアンスです、念の為。

 

 店主はいかにも一癖ある人物で、ひりりと山椒の効いた会話に興じつつハイボールを呑む。

 

 思うに、自分にとっての金沢はこういう段階に入ったのだと考えるべきなのだろう。新しいビルが出来ようと観光客が溢れかえろうと、にも関わらずしずかに沈澱する「金沢」を、その時々に遇えた方々の裡に探る。

 

 紅梅といふ秩序あり加賀ぐもり   碧村

 

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