女中的視点

 大阪市立美術館フェルメール展、早めに御覧になるほうがいいですよ。これからどんどん混んでくること間違いなし。それくらい充実した出品でした。ま、フェルメールの名前が付いてるならどのみち人気が出るんだろうけど。

 

 お目当ては『手紙を書く女と侍女』。ずいぶん前にたしか上野の美術館で見て魅惑されたおぼえがある。今回も他の絵はすっ飛ばして駆けつける。人だかりはしているものの、大阪市立に『真珠の耳飾りの少女』が来た時ほど押し合いへし合いではないからちょっと時間をかければ充分観賞できます。

 

 誰だってまずは画面左に立つ侍女の表情に目が行くだろう。女主人が一心に手紙を書く卓の後ろに控えて、例の如く外光が柔らかく射し込んでくる窓の方を見遣っている。

 

 従僕の目に英雄なし。そんな格言が思い出されるような、皮肉なような物言いたげな表情で、実際この情景から侍女の内面に焦点を当てていくらでも物語を紡ぎだしていくことも可能だろう。そう言えばむかし祖母の家に家事手伝いに来ていたノブコおばちゃんは時折こんな表情をしていたような気がする。使う者と使われる者との隠微な葛藤はいずこも同じ・・・。

 

 という、言ってみたら小説的(いっそ二時間ドラマ的と言おうか)感興が今回ほとんど湧き上がってこなかったのは意外だった。それよりもタブローから《魂の状態》が波のように放射されていることにびっくりした。絵画はここまでのことが出来るのか。

 

 感情でも心理でもなく《魂》。だから言語で分析して伝えることは無理なのだが、二人の女性の別々の《魂》が、フェルメール一流の光と、窓外から伝わってくる街の音(高からず低からず)とひとつになって、ある時間として流れ出してくる感覚。純粋持続とはこういうものなのだろうか。

 

 

○フィリップ・イードイーヴリン・ウォー伝』(高儀進訳、白水社)……ウォーの伝記はずいぶん出ているらしい。人間としてのウォーがずば抜けて面白いというよりも(いや、相当なタマなのですが)、イギリス人がそれだけウォーのこと好きなんだろう。筆者はウォーの子孫から膨大なアーカイヴを提供され、それをしっかり使いこなしている。うーん、やっぱり伝記の国だけはある。「評伝」などという甘っちょろい読み物には非ず。それにしても、宝くじかなんかで大金が入ったら、つまり仕事しなくてもいいようになったら、いま出ているというウォーの決定版全集に、日がな一日読みふけりたいものである。

○駒井稔『いま、息をしている言葉で。』(而立書房)……近年の文庫では最大(かつ最良とも言える)の企画である光文社古典新訳文庫編集長の回想録。週刊誌でエロ記事書いてる人だったとは知らなんだ。書物としては、個人的な回顧が多くそれほど読ませるわけではない。

横山百合子『江戸東京の明治維新』(岩波新書)……《御一新》後の江戸=東京の零落ぶり、大名や大身旗本の屋敷があれよあれよと桑畑に変じてゆくのをほとんど原風景であるかの如く描き出したのは明治モノにおける山田風太郎。その裏側のごたごた・すったもんだを色んな角度から照射してみせた一冊。風太郎のサブ・テキストとしても読める。実際小説の素材の宝庫である。鯨馬は最後の弾左衛門(非人の首領)の「もはやこの方の支配もこれまで」という嘆声に深い感銘を受けた。それにしても、明治維新って大袈裟に称揚する向きも少なからず。たしかに偉業ではあるのだが、これを顧みるに一大喜劇だったのではないだろうか。

トクヴィル『合衆国滞在記』(大津真作訳、京都大学学術出版会)……名著『アメリカの民主主義』が理論の結晶だとすれば、これはそれを支えるフィールドワーク。クエーカー教徒との出会いなど、むしろ普通に読んで面白いのはこっちの方かも。

○ジャック・ブノワ・メシャン『庭園の世界史』(河野鶴代訳、講談社学術文庫)……文庫一冊での「世界史」だから、クレイグ・クルナス並みの迫力は期待しないけど、やっぱり中国・日本の扱いは紋切り型そのものだなあ。

庄野潤三『水の都』(小学館)……妻の親戚で古い大阪のことを知っている人物に話を聞きに行くだけ、という小説(随筆?)なのだが、それこそさらさらと流れる文章が気品があって読んでてまことに気持ちよい。本書で紹介されてた『笑われ草紙 大阪昔がたり』、早速買いました。

福本邦雄『表舞台裏舞台 福本邦雄回顧録』(講談社

○廣野由美子『批評理論入門 「フランケンシュタイン」解剖講義』……あまりに律儀すぎて、なんだか笑えてくるのですな。

山崎正和『リズムの哲学ノート』(中央公論新社)……『装飾とデザイン』『神話と舞踏』と本書で山崎世界史の三部作になる、と思っている。題名から分かるとおり、これまでの切り口と違って、リズム一元論―というか汎リズム論―に到達しているが、細部の示唆がなによりの御馳走というのは変わらない。たとえば無常観。あれは流れ去ることへの感慨ではなく、リズムを感じ取ったときの感銘なのだという。あっ、という日本文化論ではないです?

○湯澤規子『胃袋の近代』(名古屋大学出版会)……《孤食》は今に始まったことではない。戦前の小説(私小説系統か否かを問わず)のかなりの部分が孤食小説と見ていいのではないか、とか思いながら読む。

鈴木健一編『輪切りの江戸文化史』(勉誠出版)……『人類の星の時間』江戸版。

上野誠折口信夫的思考』(青土社)……長篇批評かと思ったら、既発表の論文・エッセイ集なのだった。全体に食い足りず。折口の小説の読み込みも特に清新とは言い難い。それより、万葉研究ではとっくに民俗学的方法は破綻している、という一言にぶつかって、へえと思った。そんなもんなのですな。

古山高麗雄『編集者冥利の生活』(中公文庫)

○『橋本多佳子全句集』(角川文庫)

 

 工藤庸子先生(愛読者であります)の新刊及び関連書については次回で。

 

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