酒と桜

 二日連続の花見。どちらも当たり前ながら昼ひなかで、恰度気温が高く、うらうら照る日の下でぼけーっと花を見るような見ないような顔つきで酒を呑むのは格別の味わいでした。

 

 職場からの帰りに通る宇治川沿いは神戸でも割合有名な花どころで、この二日とも人出が多かった。ことに老夫婦が手をとりあってゆっくり歩いているのはまことにめでたい眺めながら、個人的にここの花は夕景以降、それも歩くのではなくバイクで三〇キロほどのスピードで抜けていくのが一等味わい深いと思う。連チャンの花見の翌日は、仕事帰りにこのやり方で独り桜を堪能した。

 

 灯ひとつに花ひともとの世界かな  碧村

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 研究職でもなく(=大学の本が利用できず)かつシブチンである(=新刊本はなるべく買わない)人間は大倉山の中央図書館を利用することが多い。ここの三階(専門図書のフロア)の特集コーナーは行く度にのぞいてみる。最近物故した作家の本など、「ほぅ、こんなのもあるのかね」というのが見つかるのだ。今頃はアレか・・・と思っていくと案の定「日本酒」と「桜」の二本立てでありました。テーマは宴会系でも選択は学術書中心のシブいところが心にくい。前の読書メモからからだいぶ経っているけど、今回まずはここで見つけた本から。

 

石毛直道編『論集酒と飲食の文化』(平凡社

○宮永節夫『日本水鳥記器』

○吉田元『江戸の酒』(朝日選書)・・・時代は江戸だが、地域毎の特色で章立てされているのが嬉しい。

○岩﨑文雄『サクラの文化誌』(北隆館)・・・花見の歴史から、サクラの挿し木の方法まで。ゆるりとぬる燗の対手にするに最適。食卓に載っけるにはかさばるサイズだが。

 

 その他の本。

コーマック・マッカーシー『ブラッド・メリディアン』(黒原敏行訳、早川書房)・・・恩師が教えてくださった本。でもなければアメリカ文学が苦手な人間(ピンチョンを除く)が読むことはなかっただろう。いやー実に「元気な」小説であった。まだインディアン(と呼んでおく)と白人が争闘を続けていた時代のアメリカ。インディアン狩りで報奨金を狙う一隊は、合衆国と対立するメキシコ人のみならず、アメリカ人さえ殺戮の対象として、頭皮(証拠にするのである)を容赦なく剥ぎ取っていくという無法ぶり。ほとんど『北斗の拳』的な世界なのだが、なんというか、アメリカらしくどこか脳天気でパワフルなのですな。延々と直喩が連なる癖の強い文体も奇妙にユーモラス。あとは、《判事》と呼ばれる登場人物の印象(優雅で教養があって人好きがして、冷酷残忍)もすごい。登場した瞬間からオールド・ニックだな、と正体はすぐ分かり、そしてラストではいかにもそれらしく再登場する。映画にもなるそうだが、この場面は確かに映画の画面で映えるだろうなあ。

○同『ザ・ロード』(黒原敏行訳、ハヤカワepi文庫)・・・『メリディアン』が面白くて、すぐに注文。同じく暴力と退廃の支配する世界にしても、こちらは本当の世界終末モノ。舞台もそうだし、父と男の子の放浪だから話に波瀾も華もありはしないのに、一気に読ませる。男の子の内面の成長が(しかし未来はおそらく無い)親子の会話からにじみ出るところがうまい。

マーガレット・アトウッド『オリクスとクレイク』(畔柳和代訳、岩波書店)・・・現代カナダを代表する作家なのだとか。当方はマッカーシー以来、久々に終末モノの小説が無性に読みたくなって手に取った。三部作の第一。『ザ・ロード』とは異なり、こっちは世界破滅の原因・過程がはっきり書かれている、というよりそれがプロットとなっている。天才とうすらとんかちとのコンビという設定が効いている。このジミーなる抜け作くんが魅力あふれる人物である。ベニー・プロフェインかポール・ペニフェザーのよう、と言ったのではちょっと褒めすぎかな?

○同『洪水の年』上下(佐藤アヤ子訳、岩波書店)・・・三部作の第二。前作のほうがはるかに出来がいい。後半『オリクスとクレイク』の世界に物語が絡み出して、それは楽しかったのだが(ことにジミーが登場するところは)、あまりにも律儀に前作と符節を合わせたような筋の運びが少々ダレる。未訳の第三作に期待をつなげよう。

熊野純彦本居宣長』(作品社)・・・哲学者による国学テキスト読解の試み。長大な研究史整理の部分もたっぷり語ってくれている。

○エトガル・ケレット『クネレルのサマーキャンプ』(母袋夏生訳、河出書房新社

ジェフリー・フォード『言葉人形』(谷垣暁美訳、東京創元社

○ノエル・キングズベリ、アンドレア・ジョーンズ『樹木讃歌』(悠書館)

向田邦子『海苔と卵と朝めし』(河出書房新社)・・・食べ物関係のエッセイを集めている。ファンには申し訳無いが、この作者とはやはりあんまり相性がよくない、と思った。

○工藤庸子『政治に口出しする女はお嫌いですか?』(勁草書房)・・・工藤先生のファンなので、早速読んだ。『評伝スタール夫人』のエッセンスとも言おうか。言論空間のありように焦点を当てて論じていく。サロンが公共でも私的でもなくその間に漂う言論の場だという指摘が興味深い。

○アントワーヌ・リルティ『セレブの誕生』(松村博史訳、名古屋大学出版会)・・・工藤庸子の前掲書で参考文献としてあげられていた。有名人、あるいは有名であることの誕生という視点からの近代史。たしかにこの角度から見れば哲学者と俳優も、大貴族と高級娼婦も同一平面に並ぶわけだ。「素朴で善良な植民地人」というイメージを徹底利用したフランクリンから、有名ゆえに肖像画のモデルになったのではなく描かれたから有名になったエマ・ハミルトン、そしてルソーにいたっては著名だから著名人、という同義反復になってしまう。のんびりと文化史の愉しさにふけることは出来るけれど、これ、無論もっとも現代的なテーマなのである。

○近衛典子校訂代表『動物怪談集』(「江戸怪談文芸名作選」第四巻、国書刊行会)・・・様式性に髄までからめとられたような江戸文芸でも、やはり一作一作に「文体」があることが分かる。「怪談野狐名玉」の上方口調が面白かった。どこがどう上方なのか、うまく指摘できないのだが。

木越治・勝又基『怪異を読む・書く』(国書刊行会)・・・木越治教授の古稀記念論文集がはからずも追悼論集となってしまった。木越氏自身の論文が面白かった。それにしてもここに平田篤胤が登場しないのはなぜ?彼こそは怪異を書くことの意味に徹底的にこだわった作者だったのに。

○ロナルド・ジェンナー、イヴィンド・ウンドハイム『生物毒の科学』(瀧下哉代訳、エクスナレッジ

塚本邦雄『百花遊歴』(講談社文芸文庫

○南塚信吾『「連動」する世界史』(岩波書店

○レーナ・クルーン『人間たちの庭 ホテル・サピエンス』(末延弘子訳、西村書店)・・・これも期せずして終末物。

坪内祐三『昼夜日記』(本の雑誌社

○中村邦生『推薦文、作家による作家の』(風濤社)・・・花やかな芸の見本帳のような一冊。

○坊城俊民『宮中五十年』(講談社学術文庫)・・・暴風の日に、子どもの著者と一緒に戸板を抑えていたという明治天皇のエピソードがいい。

小林登志子古代オリエントの神々』(中公新書)・・・小川英雄の説では伎楽の起源はミトラス教の儀式だという。ほおお。筆者はそれに対して「日本書紀にミトラス教の記述は無い」と言う。そらそうでんがな!

○鎌田茂雄『観音さま』(講談社学術文庫)・・・そうそう、観音さまも遠く中東の大地母神に起源があるのだ。

○國方栄二『ストア派の哲人たち』(中央公論新社)・・・文字通りのコスモポリタン世界になりつつある今、人々の意識を呪縛するのは復活するヘーゲルの壮大な物語か、あるいはストア派の「安心立命」かでなくてはならないのである。

○ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(岩津航訳、)・・・収容所の極限状況では、ことばは必然的に過去の記憶の中でしか用いられない、とは詩人石原吉郎の証言。無論その過去は幸福で豪奢な記憶なので、だからこそプルーストなのだ。カフカのことなど思い出すまでもない、ということだろう。

 

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