おぼれてもひとり~宇和島再訪(1)~

 「ああこの町にはもう一回来るな」と思いそしてブログに書いてから(「四国二分の一周② 宇和島~夢の街~」参照)、十年後の再訪は悠長に過ぎると見るべきか、それとも志操堅固にして有言実行(?)と見るべきか。

 ともあれ新幹線・特急「しおかぜ」「宇和海」を乗り継いで五時間。時分どきなれば、『ほづみ亭』で昼食。鯛めしやふくめんにはあまり食指が動かず、じゃこ天や「ほご」の煮ざかな(メバルかな。ぷりっとしてて旨い)で心ゆくまでビールを呑む。

 午後はお城や和霊神社を廻るつもりだったが、店を出ると南国らしい強烈、というより猛烈な陽差し・・・これは水に浸からねばなるまい。

 と思い立ってホテルでママチャリを借り、観光案内所で九島の海水浴場を目指したのだったが、これがすこぶる怪しい。第一案内所のおばさんにしてからが、「海水浴場?ありますかね」という反応で(電話して訊いていた)、道々案内の看板なぞひとつも出ておらず、そもそも鯨馬以外にはほとんど誰とも行き会わないのだった。

 それにしても四十七歳になってチャリの立ち漕ぎをすることになろうとは。汗づくでぜいぜいはあはあいいながら、軽トラすら危ぶまれるような道(ガードレールなど無い!)をくねりくねり行く。

 一応それらしい場所にはたどり着いたが、コンクリート打ちっぱなしの階段が無造作に海に突っ込んでいるだけ。砂もなく、砂利の浜が(二十メートルほどだろうか)続いている。むろん更衣室など無い。しかし大体当方以外誰もいないのだから、気にすることもないわけだ。と開き直って、階段で堂々と着替える。

 何重にも折れ曲がった海岸線の内側だけあって、さすがに波はかすかなもの。ハンモック型の浮き輪に仰向けに寝て揺られていると俗界の騒ぎ等はすぐに吹っ飛んでしまう。

 陽光の烈しさは避けようがないので、表になったり裏になったり二時間近くも半ばうとうとしながら水に融け込んでいた。・・・はて面妖な、かかるところへ人声とは。と目覚めると、いつしか地元の小学生らしき四人連れが海につながる小流れのところで遊んでいた。時折砂利浜に出てはミズクラゲを採取してはしゃいでおる。

 夏が過ぎ風あざみ、でまことに結構なのであるが、何せ階段ひとつっきりより無い場所である。はてオッサンはどこで着替えればよかろうか。三十分ほど水着を乾かしがてらギャラリーの退散を待ったが、一度ガキが遊びに熱中したら雷が鳴ろうと離すもんではない。

 悩みに悩んだ挙げ句、やはり階段で堂々と着替えることにした。通報されるのでは、などというオッサンの危惧もよそに、中年のハダカよりもクラゲやカニのほうに一心不乱になっているのであった(そらそうや)。

 夜は『うわじまの料理や 有明』。前回訪れた記憶があり、Facebookで「宇和島の料理研究会」なるところに問い合わせてみると「本人に訊くと、十年前にお話ししたことを覚えている、とのことです」と教えてくださった。たしか若主人(鯨馬と同い年)が神戸のホテルで修業していたはずである。

 若主人、えらくオッサンになった・・・のは当方も同じか。ともあれかけつけ三杯のビールを干し(不思議なくらいきゅうきゅうきゅうきゅう喉に吸い込まれていくのである)、後半は愛媛の地酒を頂きながら、

*ニガニシ貝の塩茹で(と聞いたが自信はない。ぬるぬると苦み少なく小味でよろしい)
*じゃこ天(黒いのと白いのと。やはりじゃりっとくる黒が断然旨い)
*地蛸のぶつぎり
*ふかの湯ざらし(辛子酢味噌。上方の白味噌でなく麦味噌で、しかも辛子がきいているからすこぶる日本酒に合う)
*小烏賊の塩茹で
*トラハゼの天ぷら

などを愉しむ。いつもどおり酒を呑んでると飯は食いたくなくなるので、天然鰻のうな重は明日の昼に回すことにし、本日の〆(というか最後のアテ)に汁ものを頼んだところ、石鯛のアラの味噌吸い物が出た。これが本日の秀逸で、あぶらぎってしかも爽やかな石鯛に麦味噌がよく合う。みるみる酔いも覚めていくようだ・・・と思ったけどこれは錯覚。直射日光は暑さ以上にカラダを疲れさせるとみえて、教えてくださった二軒目のバーでは二杯呑むと急激に睡魔が。ホテルでベッドに倒れ込みつつ、でも明日も泳ぐべしと誓う。(つづく)