螢の火

 職場から家まで歩いていて、途中の宇治川の河原に蛍が飛んでいるのを見つけた。初めは一匹しかいなかった、というより見つけられなかったけれど、しばらく眺め入っているうちに、少しずつ数が増えていく。水の流れる音と相俟っていかにも涼しげ。リズムがあるような、無いような間隔で明滅する趣がよろしい。とはいえ、今みたいに街灯も部屋の明かりもなく、車の走る音も聞こえてこないところで、黄緑いろの光が乱舞するのに出くわしたらどうだろう。綺麗な眺めと嘆賞するまえに、首の後ろの毛が逆立つのではないか。和泉式部の例の歌、自然に疎い現代人の想像する優美な場面であるよりは、鬼気迫る絵柄と言ったほうがいいのではないか。ましてあの光を自分の魂の一部と見ている訳だし。李賀『蘇小小の歌』の「冷翠燭/勞光彩」に「鬼火」という注が付いているのに首を傾げた覚えがあるが(たしか岩波の中国詩人選集)、なるほど蛍火=鬼火は実景なんだな、それにしても李賀の手にかかると、ことばひとつひとつが妖しい、冷艶な煌めきをもって粒立ってくることよ・・・などと考えながら川沿いにさらに遡る。


 本の話は月末にまとめて、というスタイルにここしばらくは落ち着いている。、なにせ本を読む合間には仕事もしないといけないし(今回の年度替わりはむやみに忙しかった)、絵を見に行ったり、酒を呑んだり、サワガニの世話をしたり、ラッキョウを漬けたり、『トロピコ5』をやったり(独裁者シミュレーション。どす黒い設定のシナリオが、ラテンの軽快な音楽に合わせて展開される大層愉快なゲームです)、評判記を書いたりせねばならぬ。


 最後の「評判記」には注が必要ですね。元は江戸時代、役者や遊女の藝や特色を批評した書物のこと。「大極上上吉」なんて評される。料理屋も批評の対象になったから、まあ、ミシュランガイドの江戸版と見てよろしい。後にはカタい儒学の先生連中も「評判」されたというのがのんびりした時代らしくて面白い。


 それはともかく。私が書いている評判記はそういうものではなく、仲間と巻いている歌仙、つまり連句のまとめのこと。「誰某の句、上上吉」なんて具合に採点したのでは色々差し障りがあるから(ミシュランで星の数を落とされた料理屋の主人はさぞ恨んでいることだろう)、私と仮構の人格(六甲山人)とのおしゃべりという形で進んでいく。軽口冗談の連発で、書いている方も楽しんでいる。読む人には消閑の具としてもらえたらそれで充分だが、少しは真面目に、連句について、敷衍して詩について、さらに敷衍して文学について思うところを述べることもある。


 何の話だったか。そう、久々の歌仙で張り切って評判記を書いてると、ついつい鯨飲馬読の方が怠りがちになる、という話でした。


 ともあれ、今月読んだ本。


○ホフマン『砂男 不気味なもの』(種村季弘コレクション、河出文庫)・・・ホフマンのテクストをフロイトが読解し、その読解を種村さんが批評するという、文庫ながら凝った造り。こちらにもいささか被視に関して強迫観念の気味合いがあり(たとえば石の中に眼が埋もれていて、石の内部からこちらに視線を放っているというもの)、二十年ぶりかで読み返した『砂男』はやっぱりコワかった。
○『個人全集月報集 武田百合子全作品森茉莉全集』(講談社文芸文庫
○テリー・イーグルトン、マシュー・ボーモント『批評とは何か イーグルトン、すべてを語る』(青土社
○タヌーヒー『イスラム帝国夜話 上』(森本公誠訳、岩波書店)・・・イスラム版「今昔」というところ。ある貴人が亡くなったあと、遺骸を安置しているところにオオトカゲが来て死者の目玉を食ったというだけの話もある(またもや目玉!)。いかに巧く立ち回って商売でもうけたか、なんて話が多いのもイスラム圏らしい。
オギュスタン・ベルク『理想の住まい  隠遁から殺風景へ』(「環境人間学と地域」、鳥海基樹訳、京都大学学術出版会)
白輪剛史『パンダを自宅で飼う方法』(文春文庫)・・・レッサーパンダが飼いたい。
○アダム・ハート=デイヴィス『シュレディンガーの猫 実験でたどる物理学の歴史』(山崎正浩訳、創元社)・・・物理学でも哲学の思考実験でもいいけど、実験そのものの発想の枠組を記述するような、いわば「実験学」なんてのはないのかしら。
池内紀『世間をわたる姿勢』(「池内紀の仕事場8」、みすず書房
○尾関幸・陳岡めぐみ・三浦篤『19世紀  近代美術の誕生、ロマン派から印象派へ』(西洋美術の歴史7,中央公論新社
北村一夫『落語風俗事典 上下』(現代教養文庫)・・・引用に徹しているので便利。
吉村昭『魚影の群れ』(新潮文庫)・・・鼠の大群と死闘を繰り広げる「海の鼠」がコワい。
○ヘルマン・シュライバー『沈みゆく海上都市国家史 ヴェネチア人』(関楠生訳、河出書房新社
○阿満利麿『日本精神史 自然宗教の逆襲』(筑摩書房
○ロバート・カニーゲル『無限の天才 夭折の数学者ラマヌジャン』(田中靖夫訳、工作舎
東京芸術大学大学美術館ほか編集『驚きの明治工藝』(美術出版社)
氏家幹人『大江戸残酷物語』(歴史新書、洋泉社
井上泰至編『俳句のルール』(笠間書院)・・・実作者と研究者の「コラボ」。
○ジョン・K・ガルブレイス『アメリカの資本主義』(新川健三郎訳、白水社
渡辺保『戦後歌舞伎の精神史』(講談社)・・・世代別に横割りにして語る形式。現代歌舞伎がいかに自意識を求められるものか、それを理屈ではなく、様々な「型」の自在な記述によって分析できるひとは他にいない。
バルバラ・グラツィオージ『オリュンポスの神々の歴史』(西塔由貴子訳、白水社)・・・古典期からして既に、オリュンポスの神さまたちは民衆の嘲弄の対象になっていた。それでもキリスト教中世を生き延び、ルネサンスで華々しく復活(という単純な見方を筆者は批判するのであるが)、と見ていくとギリシャの神も相当したたかだなあ、と思う。

 今月は何よりも、東洋文庫で出た『柏木如亭詩集1』。如亭研究の第一人者である揖斐高先生の校注。実質的な全集に近い。ゆっくりゆっくり愉しむつもり。
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