軽薄さについて

 コロ助の騒動も傍目に見て過ごしたような感じだったが、やっぱり三年近く足枷つけられてたら習い性になるもんですな。最近すっかり家居が日常に(日本語おかしいか)なってしまった。

 無論この間に引越で眺望絶佳・交通絶望の地に移ってきた、ということはある。顧みればしかし、これまで住んだのは神戸市バスで言えば2系統・7系統とかくれもない「山際路線」沿線であって(今は11系統)、殊更不便になったわけではない。ま、トシのせいなんですがね、気分良く酔って帰ってるつもりでも、坂道ですっころんで前歯を欠いたりマンションの階段でずっこけて額を(とぶら提げていた一升瓶も)割ったり、なんだか我と我が身が厭になって引きこもってる気配なしとせず。

 これは精神衛生上甚だ以ていかがわしき事態である。どうせ肉体的には散々すっころんでずっこけてんだから、来年はひとつ持ち前の軽佻浮薄を存分にまき散らそう、と堅く誓う。すなわち夜遊びに励むべし。これが抱負であります。皆様もよいお年をお迎えください。

○岡本裕一朗『哲学100の基本』(東洋経済新報社
林望武田美穂リンボウ先生のなるほど古典はおもしろい!』(理論社
里中哲彦『ずばり池波正太郎』(文春文庫)……闊達。でも歴史学者の難癖やイデオロギー史観に対して池波正太郎を称揚する段は力み返っていて、ややミイラ取りがミイラになった感あり。惜しい。
吉川幸次郎『中国詩史』(高橋和巳編、ちくま学芸文庫)……諸処の論文をあつめて編んだ集なのに、大河流るるがごとく一貫した眼貫いており、まさしく「詩史」の趣。司馬相如・孔融阮籍といった(こちらにしてみれば)マイナー級の連中を丁寧に論じてくれているのも有難い。岩波文庫の『文選』、買わねば。
小玉祥子『艶やかに 尾上菊五郎聞き書き』(毎日新聞出版)……なんだこのさばさばし(すぎ)た語り口!東京ものの照れはあるんだろうけど。先々代の中村屋成駒屋といったうんとこゆい先輩達を見上げてきた世代だとこうなるのかな。
○渡辺佳延『知の歴史』(現代書館
○ロイ・W・ペレット『インド哲学入門』(加藤隆宏訳、ミネルヴァ書房
○田村美由紀『口述筆記する文学 書くことの代行とジェンダー』(名古屋大学出版会)……端正に切り回している。なくもがなのPC的遁辞はちと煩い。武田泰淳・百合子の章はやや苦笑気味に投げ出してる雰囲気があり、それがよろしい。
○アーノルド・ゼイブル『カフェ・シェヘラザード』(菅野賢治訳、共和国)
泉鏡花記念館・泉鏡花研究会『泉鏡花生誕一五〇年記念 鏡花の家』(平凡社)……大病と逗子寓居以前はあの潔癖症はなかったらしい。三島由紀夫の「蟹」と同じく作り上げられた、かくあらねばならぬという意味での、理念としての嗜好なのかもしれない。にしても、兎のコレクション、やっぱり可愛らしいな。
○宇江敏勝『炭焼日記 吉野熊野の山から』(新宿書房)……今流行りの「山の怪談」も、野生動物の生態すらほとんど出てこないが、じつに面白い。人間(じんかん)の交わりから遠ざかりひたすら山仕事に打ち込む(あとは焼酎を飲んで寝るだけ。仲間との交流もほとんどない)姿に惹きつけられるせいだろうか。沢山本を出しているようだからしばらく追いかけてみる。
○若野康玄『大阪アンダーワールド』(徳間書店)……伝説の暴走族ゴロシやダルヴィッシュの弟などの列伝。その筋の人の書く文章って、不思議と体臭がむうっとくるだけのものよりも、観念的な(貶下的な意味にあらず)見方・表現の方に変な面白さがある。続編、期待してます。
小泉武夫『幻の料亭・日本橋「百川」』(新潮社)
ジョン・スラデック『チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク』(鯨井久志訳、竹書房文庫)
松尾剛次『破戒と男色の仏教史』(平凡社ライブラリー
○ミチコ・カクタニ『エクス・リブリス』(橘明美訳、集英社)……当方は初見参の米国の高名な批評家、だがもひとつぴんとこない。毒舌で鳴らしたそうだが、それより啓蒙的な口ぶり、というかいかにももっともな「現代的位置づけ」に鼻白む。分量が少なくて、じっくり味わい存分に意見を展開するという批評文になってない?ピンチョンからは『メイスン&ディクスン』、コーマック・マッカーシーでは『ブラッド・メリディアン』など、趣味は合うはずなんだけどな。
富士川義之『きまぐれな読書―現代イギリス文学の魅力』(みすず書房)……こちらは隅から隅まで堪能。シリル・コノリーやピーター・クェネルといった贔屓筋周辺の話題が多いのも嬉しい。書評以外のエッセイも富士川さんらしくゆったりと品が良くて、しかもいっぱい本が買いたくなる(読書エッセイの質は大抵ここで判別できる)。Amazonでぽちぽち~おまけにもひとつぽちぽちっとな。
○戸矢学『熊楠の神』(方丈社)
○並木浩一・奥泉光旧約聖書がわかる本   <対話>でひもとくその世界』(河出新書)……今回の秀逸はこれ!超越神と対話性との逆説的結びつきや預言者の個性など、毎ページ付箋を貼りたくなるくらい面白い。それにしてもICUで聖書学を学んだとはいえ、奥泉さん、すごいなあ。専門家(奥泉さんの大学の先生)を相手にここまで語れるとは。
京樂真帆子『牛車で行こう!』(吉川弘文館
釈徹宗・高島幸次『大阪の神さん仏さん』(140B)
ウィリアム・トレヴァー『ディンマスの子供たち』(宮脇孝雄訳、国書刊行会)……贔屓役者となったトレヴァー。年末年始は暖冬らしいですから、この長篇で身の毛をよだてるというのも風流なのではないでしょうか。

 

 

Via Dolorosa

 いくら温暖化で遅くなってるとはいえ師走の紅葉狩りはぞっとしないから、今にも降り出しそうな曇天ながら家を出る。

 まずはご近所の禅昌寺。特に紅葉で名高いという訳ではないけど、ともかく人が少ない(というかいつ来ても誰もおらん)のが有難い。少し外れただけで深山幽谷の趣を味わえる板宿はケッタイな町である。

 次の須磨寺に向かう途中、ふとまだ参詣してないと気づいて板宿八幡の方へ。飛松の伝承なぞは上方にはいくらでもあるから格別に由緒あるお宮とは言えないだろうし、社域も取り立てていうほどの風情はない。でも、ホントに住宅街の真ん中をうねうね縫うように歩いて登る順路はなかなかよろしい。

 さて、板宿から須磨寺へは、途中大手町や離宮道など瀟洒な邸宅がならんでおり、歩いててたいへん気分が良い。もっともはたから見ればお屋敷をしげしげ眺める不審者なのでしょうが。むしろ須磨寺の横にある池(名前が分からない)の寂れ具合に気が滅入る。観光旅館などもあるから、かつては行楽の地として賑わったのだろう。たしか谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で須磨の月を見に行った(が周囲の灯りがまぶしすぎてちっとも風情がなかった)のはここだったのではないか。

 対照的に須磨寺はいつ来ても、エネルギッシュというか俗悪というか、森閑とした威厳はどこを探しても見つからず、でもまあ清濁併せのむ巨人・空海につながる寺としてはこうあらねばならないのかもしれぬ。今でも二十、二十一のお大師さまの縁日には市が開かれるそうな。こういう、のんびりした感じ、いいですね。

 などとひとりごちながら、鯖大師だの魚鳥供養塔だの(神戸の鮨組合建立)敦盛首塚だの八十八箇所の本尊群だのなにやらいかがわしい匂いのするところを舌なめずりしながら見て歩く。ここ、武田百合子さんが来て見て書いたら無類の散文になっただろうな。『遊覧日記』、浅草花やしきの件に就いて見るべし。

 須磨寺門前町の風情も佳い。今風の洒落たカフェ・雑貨やもちらほら出来ているけど、まだ鄙びてどこか猥雑な空気があってたいへんよろしい。惜しむらくは『志らはま』が臨時休業していたこと。あそこの穴子ずしで昼からぬる燗、と決め込んで浮き立っていたんだけどなあ。

 なんとなく悄然と歩いてますと、スーパーがあった。店頭の商品がかなり安かったので、ちょっくらのぞいて見るべいと中に入る。そこで見つけたのですねえ、「タイムサービス!! 大根一本108円」。今年はこれまた秋らしからぬ高温が続いて大根がなかなか安くならない。鍋の薬味に大根おろしをするくらいならそれでも買うけど、こちらは沢庵を漬けねばならぬのである。ようけ買わねばならんのである。298円か108円かは大きくひびくのである。

 というわけで売り場の大根の山をほとんど空にする勢いでカゴに放り込んでいく。レジのおねいさんは「だ、大丈夫ですか」と心配していた。あれは当方のアタマを気遣ったのではなく、持てるかどうかを訊いていたのだ、と思う。思いたい。

 月見山から高取山町まで(板宿からでも上り坂一直線でおよそ十八分)、都合十四本の大根がつまったレジ袋を両手に提げながらとぼとぼ歩むときの心中については聡明犀利な読者の皆様のご賢察にお任せします。ゴルゴダまで十字架を背負って歩んだイエスさまの気持ちがあれほど痛切に分かったと思えたことはありませんでした。


野々村一雄『学者商売』(中央公論社)……大笑いしながら頁を繰った。エピソードの中身もさりながら、ぼきぼきと音がするような口調がいい。
○土肥恒之『西洋史学の先駆者たち』(中公叢書)
井上章一編『性欲の研究』(平凡社
○今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』(中公新書)……オノマトペを緒(いとぐち)に切り込んでいく発想がユニーク。誤謬による推論をしてしまうところに創造性を見いだすのも、はっ。とさせられる。
校條剛富士日記の人びと』(河出書房新社)……本自体の程度はもひとつだが、ノブさんや外川さんといった懐かしい名がぞろぞろ出て来て泣きそうになる。
○ウィリアム・シットウェル『図説 世界の外食文化とレストランの歴史』(矢沢聖子訳、原書房
○ヘルマン・ケステン『異国の神々(小松太郎訳、河出書房』
井上ひさし『まるまる徹夜で読み通す』(「井上ひさし 発掘エッセイ・セレクション」、岩波書店)……「推薦文100選」がすごい。帯や内容見本に載せたもの、つまりほとんどが散逸するような資料を丹念に蒐めて編集。一ファンの仕事だそうな。
池波正太郎『人生の滋味』(幻戯書房)……海軍時代の体験について、他書では周縁的なエピソードしか語られていないが、この本の一篇で「いためつけられた」という表現が出てきている。それが印象深い。あと、吉行淳之介篠山紀信との鼎談を読んで、吉行・池波がまったくの同世代だと気づかされた。なんだか愉快。
○松村一男・平藤喜久子編著『新版 神のかたち図鑑 カラー版』(白水社
○松村一男・平藤喜久子・山田仁史編著『新版 神の文化史事典』(白水社
○ケイト・スティーヴンソン『中世ヨーロッパ「勇者」の日常生活 日々の冒険からドラゴンとの「戦い」まで』(大槻敦子訳、原書房)……わはは、わいこんなん好っきゃ。好きやけどしかし、文章がマズい。「才気煥発」を見せつけようとして、かえってがちゃがちゃとひとりよがりになってしまってるのが惜しまれる。
末木文美士『近世思想と仏教』(法蔵館)……いろんな角度から論じていて参考になったのだが、《思想》としての位置づけが本質的な評価と等価と言えるかどうか。風俗、いっそ生活の一部と成り切った点にこそ「近世」ならではの仏教の面白さという見方は出来ないだろうか。すなわち仏教民俗学
川口浩『熊沢蕃山』(ミネルヴァ評伝選、ミネルヴァ書房
磯崎新デミウルゴス』(青土社
○小坂井敏晶『神の亡霊』(東京大学出版会
○齋藤環『100分de名著 中井久夫スペシャル』(NHK出版)
荒木浩『京都古典文学めぐり』(岩波書店)……清少納言が賀茂の臨時祭(冬至前後)に熱狂するくだり、えんぶり(これは二月中旬)に心うばわれてる身にはげにもと頷かれる。
内田樹釈徹宗『日本宗教のクセ』(ミシマ社)
今野真二『江戸の知を読む』(河出書房新社
○エリー・ウィリアムズ『嘘つきのための辞書』(三辺律子訳、河出書房新社
○『星新一ショートショート1001』1(新潮社)……これも「中年からの」キャンペーン(?)のうち。星新一のオソロシサについては当ブログで何度か触れているが、『気まぐれ博物誌』を再読してこれはやっぱりショートショートを精読せねば、と思い立った。エッセイ、ショートショートを問わず、「気まぐれ」が頻繁に冠されるが、これは(ある種の「エッセイ」に見られるような)どうでもいいような感想、自堕落な(と評したくなる)思いつきではなく、たとえば十七・八世紀の英文学に見られるようなdigressionに等しいのでは、という予感がある。
姜尚中他『文化の爛熟と武人の台頭』(アジア人物史第4巻、集英社
○吉田元『酒』(ものと人間の文化史172、法政大学出版局
旅の文化研究所『落語にみる江戸の酒文化』(河出書房新社
○農口尚彦『魂の酒』(ポプラ社)……この三冊は神戸市中央図書館(三階)の「テーマ展示」から。時宜を得た企画もあり、誰がそんなん借りるねんとツッコミたくなる選択もあり、引っくるめて鯨馬はけっこう贔屓にしております。

 

 

 

中年という愉しみ

 酒後の事故や、体調崩すのが増えたこともさりながら、何の気なしに久々に読み返した本に感銘を受け、以て我が身の秋を知る。いやまあ、「ついにアラフォー」「四捨五入すれば五十路だわい」と騒いではいたけれど、秋のあはれ同様、身に染み出すところが肝腎。

 その本とは、グレアム・グリーン『事件の核心』と『池波正太郎の銀座日記〔全〕』。いずれも新潮文庫。とはつまり、文庫オリジナルの『銀座日記』ならともかく、グリーンは全集版でもその文庫化であるハヤカワepi版でもない、伊藤整訳(実際の訳は永松定)の古いもの(奥付を見ると昭和四十年の第七刷)。こうも読みづらい版面(そう、文庫程度に難渋してしまう眼の衰えもあるのだった)で、でも行きなづむことなく読了したのだから、やはり相当に身が入ってたのに相違ない。

 誤解されるかもしれないのだが、カトリックの信仰やら罪やらに関してはむしろ学生の時の方が鮮烈に感じた。衝撃といわないのは無論こちらが今に至るまでキリスト教的魂にはさっぱり縁が無いことによる。また、冷め切った関係の妻に注ぐ哀れみに惻々たる思いをしたのでもない(だいたいこちらはずっと独り身なのだし)。今回一等惹きつけられたのはスコービイの土地への愛着である。ねばっこい熱風に始終まとわりつかれる植民地には病気と貧困と汚職とがはびこっている。スコービイの立場が結局宗主国側であるのは、言うまでもないけれど、それを含めて深い諦念のうちにこの風土をembraceするたたずまいに親近感をおぼえたのだった。吉田健一言うところの「住んだところが故郷である」という剛毅な決意のようでもあり、種村季弘大人が落魄こそ男のエロティシズムの最たるものという、その風情のようでもあり。そもそも数年来、文学で形象される、植民地に吹き寄せられるように堆積していく《しようのない》白人の姿が伏流水のように気にかかっていたのが、ここにいたって噴出したということだろうか。これら塵あくたのような白人(の男))どもに否応なく惹きつけられると、たとえばピンチョン(『V. 』)もダレル(『アレクサンドリア四重奏』)もちっとも難解でも複雑でもなく、「肺腑をえぐる」おもしろさですいすい読めてしまうのである。ま、両方とも、中年なんて意識することすらない時から愛読してた小説だけど。若い時分から老けてただけか。

 『銀座日記』にしても、惹句に「死生観」とあるし、また作者自身が病気に苦労する記述はたびたび出てくるのだが(実際この連載直後に急逝したのではないか)、それよりも、映画の試写に出かけ、新しい料理やを見つけ、画集を堪能し、昔のジャズを思い出し・・・・・・という日常をじつに丹念に過ごしている姿勢に瞠目した。これはよほどの意志(と柔軟な思考)がないと持続しない。若気の読書では、当然次々出てくる料理や映画に目を奪われていただけだった。

 とまれ、こんな調子でどんどんめざましい読書(再)経験が出来るなら、どぶねずみ色の中年人生もしっとり雨にうるおう露地の飛石くらいには愉しめそうで、まんざらでもなさそう。どうせなら、小沼丹とかチャールズ・ラムとか林語堂とか、激シブの面子ではなく、夢野久作バタイユドン・デリーロなどむんむんこてこてしたやつらに、も一度食らいついてやろう、と思う。

 

 

 

秋の蟷螂

 山近いのでいろんな虫がやってくる。最近はむやみにカマキリの姿をよく見る。一度に三四匹見つかることもある。交尾中のところも目撃した。雄はなるほど聞く所に違わず、事後ぼりぼりむさぼり喰われてるのであった。喰われてること自体より、人間の目にはひしとした抱擁の姿勢のまま囓られてるのがヒト・オス・オッサンにはじつにあわれであった。

 宦官のごと逆光の秋蟷螂 碧村


◎ハロルド・ブルーム『影響の解剖』(有泉学宙他訳、小鳥遊書房)……老来いよいよ意気軒昂なブルーム節。むかし筒井康隆さんが、小林秀雄の本について「ただいいわいいわとのたうちまわってればいいのだ」と要約していたのをふと思い出す、そんな雰囲気。クサいという人は当然いるだろうが、ペイターの贔屓としてはこれでいい。むしろ気になるのはこれだけカノンを重んじる批評家でありながら、このヒト、まったくカノンを重んじてはいないのではないかと疑わしめるのは逆説的である。なぜか。《ヨーロッパ》という実体についての考察、というより考察する姿勢が見えないからである。そうした地方主義に跼蹐してるとこがあきたらないのよね。好きか嫌いか別にして、スタイナーを見よ。訳文は全体に蕪雑。とくに人名表記などがいい加減でげんなりする。「セント・ブーブ」って誰やねん。英語偏重のブルーム翁にヨイショしたということか。
◎A.P.ド・マンディアルグ『汚れた歳月』(松本完治訳、エディション・イレーヌ)……これまたお懐かしやマンディアルグ、の処女出版はじめての邦訳。散文詩というかコントの原型というか、例によって細緻を極める文体で異様な情景を彫り上げていく。最近こういう趣の作品に接していなかったので堪能した(そして胃もたれした)。それにしても見事な訳文・・・と見ると、訳者は生田耕作の弟子筋に当たる人らしい。ナルホド。
◎アーサー・ケストラー『日蝕』(岩崎克己訳、三修社
ミシェル・ウエルベック『滅ぼす』上下(野崎歓他訳、河出書房新社
◎アラン・ワイズマン『人類が消えた世界』(鬼澤忍訳、早川書房)……ガラスがいちばん保つのだそうな。J.G.バラード的風景。
◎ライアン・ノース『科学でかなえる世界征服』(吉田三知世訳、早川書房
◎『中井久夫 精神科医が遺したことばと作法』(河出書房新社)……KAWADEムックの増補新版。
グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学へ』上(佐藤良明訳、岩波文庫)……まだ上巻だけだけど、こんなにすらすら読めてオレどうしちゃったのだろう、といぶかしいくらい。鹿島茂大人が言うとおり、これは思考の方法論なのですな。
◎カント『判断力批判』上下(中山元訳、光文社古典新訳文庫
◎山下久夫・斎藤英喜編『平田篤胤 狂信から共振へ』(法蔵館
池澤夏樹寄藤文平『みんなのなつかしい一冊』(毎日新聞出版
◎田井基文『世界をめぐる動物園・水族館コンサルタントの想定外な日々』(産業編集センター)……少しく自己宣伝が多い気もします。蘊蓄をもっとかたむけて欲しかった。世界の動物園水族館紹介は興味津々。でもこの先どうなるのかしら。
◎神戸佳文『ひょうごの仏像探訪』(神戸新聞総合出版センター)……全体におっとりしたたたずまいの仏様が多い。天台・真言の古刹が意外と多いのにもびっくりした。
◎ジョン・ラスキンフィレンツェの朝』(井上義夫訳、みすず書房)……『ヴェネツィアの石』ほど肩肘張ってない感じ。でも、超一流と一流半とを断固区別(差別か?)する口調は変わらず。
東海林さだお町中華の丸かじり』(朝日新聞出版)……コロナ騒動さなかの連載をまとめたせいか、やや元気がなさそう。
瀧浪貞子桓武天皇 決断する君主』(岩波新書)……(1)桓武がじつは天武系(すくなくとも自覚としてはそう)など、蒙を啓いてくれた、(2)拠るべき史料が少ない、(3)そもそもこちらは素人、と幾重にも留保をつけた上でのことながら、あまりにも筆者の推測による部分が大きすぎはしないか。たとえば光仁桓武父)の皇后・井上およびその子他戸が同日に死去したことについて、筆者は暗殺説を「簡単には断定できない」、自殺説を「これも根拠のあることではない」、「結局のところ、真相は不明というほかはない」とする。この慎重さと、他の部分における、「違いない」「なかろうか」「わたくしには思われる」「容易に想像がつく」の頻出とはどうバランスがとれるのか。
宇野重規『近代日本の「知」を考える』(ミネルヴァ書房)……読まずともよし。
◎君塚直隆『貴族とは何か』(新潮選書)
橋爪大三郎言語ゲームの練習問題』(講談社現代新書)……うすいけどアツい本。究極の《起源》はただ超越論的なものとしてそこにある、という認識は、互盛央『言語起源論の系譜』を想起させる(こっちは思想史だけど)。
◎ヘルダー『人類歴史哲学論考』(一)(嶋田洋一郎訳、岩波文庫
ダヴィッド・シャハル『ブルーリア』(母袋夏生訳、文学の冒険国書刊行会
◎『鮨職人の魚仕事』(柴田書店
宮田登弥勒』(講談社学術文庫)……中国・朝鮮では大民衆反乱に結びつく弥勒下生信仰が、「まれびと」としてかくも温和=微温的に馴致されてしまう不思議。しかし、小松和彦氏がどこかで書いていたが、この著者、ほんと、脇が甘い。
◎ステファン・コリーニ『懐古する想像力 イングランドの批評と歴史』(近藤康裕訳、みすず書房)……無/反歴史主義的に見える戦間~戦後のイングランドの批評と歴史主義との逆説的な絡み合いを滔々と論じる。元は講演原稿というのがすごい。エリオット、やっぱりやなヤツだな。エンプソン、やっぱりヘンジンだな。
◎貝谷郁子『幻のヴェネツィア魚食堂』(晶文社)……ヴェネツィアのおもかげは、まさしく「幻」のようにあっさり。残念。
千街晶之『水面の星座水底の宝石』(光文社)……ケレン味なくミステリの本質を、そしてそこだけを狙い定めて論じる。読み応え充分。ただしすべてネタバレしてます(無論そう事前に断っています)。
◎蟻川トモ子『江戸の魚食文化』(雄山閣)……読まずともよし。
◎カトリオナ・ウォード『ニードレス通りの果ての家』(中谷友紀子訳、早川書房)……紹介するだけでネタバレになる。ホラーというより、著者自らが定義する「サバイバル」として読むべき本なのだろう。
◎キャスリン&ロス・ペトラス『人体ヒストリア   その「体」が歴史を変えた』(向井和美訳、日経ナショナルジオグラフィック
◎赤澤かおり『人生にはいつも料理本があった』(筑摩書房)……当方にとっての《名著》はほんの一・二冊、しかも脇役程度でしか登場しない。そういう年齢なのか(そうなのだ)。
◎櫻井康人『十字軍国家』(筑摩選書)
◎ロジャー・ラックハースト『ヴィジュアル版 ゴシック全書』(巽孝之監修・大槻敦子訳、原書房)……たとえばゴシックにおける東西南北、とか一杯やりながら楽しむのに最適な本。いやいささか悪趣味か。Amazonのレビューではみなさんぶつぶつおっしゃってるけど、「唯一無二の「宝庫」」なんて惹句に惑わされる必要はないでしょう。

マスゴミを論じて牢獄におよぶ

 強きを扶け弱きを痛めつけるのがマスコミの本分ではあるけれど、先の霊感商法といい、ま近くは芸能界の性加害といい、じつにひどい。鉄面皮ぶりやらしたり顔のご託宣やら下劣な攻撃口調など、まるでヤフコメ程度ではないか。まあ、益体もないことは天下周知(同僚は「現代の床屋政談である」と警抜な評言をくだした)のヤフコメのほうがまだしも害毒は少ないかもしれない。悪臭は害毒ともいえるが。

 なんて柄にもなく世相評判に及んだのは、

★ドラウジオ・ヴァレーラ『カランヂル駅』(伊藤秋仁訳、春風社

が滅法面白かったから。ブラジル最大の刑務所につとめるお医者さんが見聞きしたことを書いている。なんだか話がつながらないようですが、著者自身がはじめに断っているように、劣悪な環境を糾弾するわけでも問題提起するわけでもなく、個々のエピソードとその背後の「構造」を坦々と叙述する体裁にも関わらず、というよりそのためにむしろ、一級のルポルタージュになっている。主張をふりかざしたり一方的に論断したり正義を滔々とと説いたり・・・といったあの手のノンフィクション(?)とはだいぶ趣がことなる。ともかく興味深いエピソードがてんこ盛り。ひとつだけ紹介すれば、この監獄(と形容したくなる)では、房をカネで買える、というか買わねばならないらしい。よく分からんが。秋の夜長を過ごすのにうってつけの一冊です。ああ、あといちばん笑えた一文も。

 「大きな家」の日常は囚人が動かしている。囚人がいなければカオスが訪れるであろう。

 

 


○伊藤龍平『怪談の仕掛け』(青弓社
中野美代子日本海ものがたり』(岩波書店)……中野先生にこんな著書があるとは。日露戦争に至るまで、ほとんど「無いもの」とされていたんだな、日本海
○ヴォルフ・レペニース『自然誌の終焉』(叢書ウニベルシタス、山村直資訳、法政大学出版局
ヘーゲル『自然哲学 哲学の集大成・要綱 第2部』(長谷川宏訳、作品社)
國分功一郎『中動態の世界』(医学書院)
○ボリア・サックス『図説世界の神獣・幻想動物 ファンタジーの誕生』(大間知知子訳、原書房
○マーティン・J.ドハティ『北欧神話物語百科 ヴィジュアル版』(角敦子訳、原書房
○エミール・バンヴェニスト『インド=ヨーロッパ諸制度語彙集2 王権・法・宗教』(前田耕作監修、言叢社
○ニール・ブラッドベリー『毒殺の化学 世界を震撼させた11の毒』(五十嵐加奈子訳、青土社
○落合淳思『古代中国説話と真相』(筑摩選書)
菊池寛『大衆明治史』上下(ダイレクト出版)……居酒屋に居合わせたオッサンに(当方もオッサンですが)話を聞いているという風情。だから、酒の対手としてはもってこいの本。
皆川博子『天涯図書館』(講談社
○ダン・ジョーンズ『中世ヨーロッパ全史』上下(Da Costa Yoshimura,Hanako訳、河出書房新社)……あっけらかんとした張り扇がいっそこころよい。
○岡義武『山県有朋』(岩波文庫)……権力の我利我利亡者という印象はかわらないが、第一次大戦中の対華二十一ヵ条要求に激昂しているという反応が興味深い。維新と日露戦争を耐え抜いた元勲世代にとっては、加藤高明なんぞ青臭い小人としか思えないんだろう。これは鯨馬も同感。だからこそ原敬はあんなに評価していたのだ。
新保博久『シンポ教授の生活とミステリー』(光文社文庫)……一冊も「読みたいミステリ」をメモしなかった。あれ?
○内藤了『タラニス 死の神の湿った森』(KADOKAWA
早川光『新時代の江戸前鮨がわかる本 訪れるべき本当の名店』(ぴあ)……うっとりするような名文というのではないが、思い入れの強さがひとりよがりに堕せず、ぱきぱきと分析をすすめる趣はこういうジャンルにあっては希有といっていい。
○坂西誠一・与田弘志『鮨ネタ 粋ワザ』(パイインターナショナル)
○田渕句美子『新古今集 後鳥羽院と定家の時代』(角川学芸出版
中川博夫他編『百人一首の現在』(青簡舎)……忘却散人のブログ(

百人一首の現在: 忘却散人ブログ

)にあるとおり、「百人秀歌」を読み解く中川博夫氏の論文が刺戟的。百人一首みたいな超のつくメジャーでもまだこんなに清新な論が立てられるんだなあ。すごい。
○久水俊和『中世天皇家の作法と律令制の残像』(八木書店出版部)
○徳井淑子『服飾の中世』(勁草書房
○ジョゼフ・キャンベル『神の仮面』上下(山室静訳、青土社

夏涸れ

 楽しい会はあったけれど、一体に九月は食べものの端境期という感じ。なにかネタを待ってるうちに月が終わってしまいそうなので、取りあえず読んだ本だけあげておきます。

○ジャネット・ウィンターソン『フランキスシュタイン』(木原善彦訳、河出書房新社
○西﨑憲編『看板描きと水晶の魚』(筑摩書房
○エリザベス・トラウト『オリーヴ・キタリッジの生活』(小川高義訳、早川書房)……あちこちにちらと顔を出す主人公(?)の数学教師、いいなあ。がさつでざっっかけなくて、でも不思議と好感持てる。こういう連作はなんだか新鮮。
松浦寿輝『香港陥落』(講談社)……小説ははじめてになるのかな。語りはさすがに達者。ただ、シェイクスピアや中華料理などのあしらいがどうもとってつけたよう。日本軍の侵略直前という状況だからこそもっと痛切に文字通り「身に染みる」ひと皿はなかったのか。
アリストテレス政治学』上下  (三浦洋訳、光文社古典新訳文庫
○『ヴィヨン全詩集』(宮下志朗訳、国書刊行会)……宮下さんの闊達な訳文でかえって落魄と嘆きの風情が痛切に滲み出るという妙。
○松薗斉『中世の王家と宮家 皇子たちの中世』(臨川書店)……天皇は中世のはじめから「機関」であったことがよく分かる(主権者は治天の君天皇家家長たる院)。
○オットー・ヴィマー『図説 聖人事典』(藤代幸一訳、八坂書房
○松原知生『物数寄考』(平凡社
○礒崎純一『龍彦親王航海記』(白水社
○澁澤龍子『澁澤龍彦との日々』(白水社
○澁澤龍子『澁澤龍彦との旅』(白水社
○長谷部恭男・杉田敦加藤陽子『歴史の逆流』(朝日新書
○小坂井敏晶『矛盾と創造』(祥伝社)……新テーゼの提示というより、小坂井さんの自叙伝ともいうべき一作。
○ピエロ・マルティン『測る世界史 「世界の基準」となった7つの単位の物語』(川島蓮訳、朝日新聞出版)
○スティーヴ・エリクソン『黒い時計の旅』(柴田元幸訳、白水uブックス
○小野田博一『論理の鬼』(河出書房新社)……論理とは、の叙述はいいとして、〈14歳の世渡り術〉だから?なんで平安?なんで鬼?なんで唐突な料理の羅列?奥付に「編集」とある人がかなり構成にかんでるのかなあ。あと、論理を踏まえた議論が出来ないニンゲンをやたら馬鹿呼ばわりするのもやや引っかかる。馬鹿だなあと思わせる書き方こそ主題に似つかわしかったのでは。
○松島仁『徳川将軍権力と狩野派絵画 徳川王権樹立と王朝絵画の創生』(ブリュッケ)
田中貴子『いちにち、古典 〈とき〉をめぐる日本文学誌』(岩波新書
ピエール・マッコルラン『黄色い笑い 悪意』(マッコルラン・コレクション、中村桂子他訳、国書刊行会)……プヒプヒ氏のブログによって手にとった。このスピード感(スウィング感か)、なるほどアポリネールの世代である。「悪意」がことによろしい。グロテスクなファルスであって、しかも切実。
○オリヴィー・ブレイク『アトラス6』上下(佐田千織訳、ハヤカワSF文庫)
日本経済新聞社編『人口と世界』(日経BP
赤川学子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書
○伊藤聡『神道の中世』(中公叢書)
○伊藤聡監修『中世神道入門』(勉誠出版)……目下中世神道に夢中。和風ファンタジーを執筆したい人は、古事記風土記そのものよりもよっぽどこちらの方が宝の山と感じるだろう。近世国学は、この沃野に比べるといかにも《もっとも》で《筋が通る》、あえて言えば平板なものに見えてくる。吉田兼倶の伝記、なんで出ないんでしょうか、吉川弘文館さん。
大田俊寛一神教全史』上下(河出新書
山内志朗『中世哲学入門 存在の海をめぐる思想史』(ちくま新書
○ダイアン・クック『静寂の荒野』(上野元美訳、早川書房
○ヴァージニア・ハートマン『アオサギの娘』(国弘喜美代訳、ハヤカワポケットミステリ)……久々のポケミス。父の謎の死、母との葛藤、主人公の恋愛も含めて、あまりに綺麗に問題が片付きすぎて鼻白む。今どきはこういうのを《家族の再生》とかいってもてはやすのかな?たかだかエンターテインメントにやかましう言いなさんなと笑われそうだが、なら全体の分量四分の三まで動きがないのは「サスペンス」ではないでしょう(引っ張るという意味ではそうかもしれん)。こちらがいわゆる南部ゴシック好きなので、南部を舞台にした小説はかなり基準点を上げて見てるせいだけではないと思いますよ。
森見登美彦『熱帯』(文藝春秋)……久々に森見ワールド没入。「世界のすべてが伏線」という作中のことばは正にそうで、全ての人物・行動・発言・描写が少しずつずれながら内へ内へと(外へか?)たぐり込まれてゆく。小道具の配置もゆるがせにされていない。