Via Dolorosa

 いくら温暖化で遅くなってるとはいえ師走の紅葉狩りはぞっとしないから、今にも降り出しそうな曇天ながら家を出る。

 まずはご近所の禅昌寺。特に紅葉で名高いという訳ではないけど、ともかく人が少ない(というかいつ来ても誰もおらん)のが有難い。少し外れただけで深山幽谷の趣を味わえる板宿はケッタイな町である。

 次の須磨寺に向かう途中、ふとまだ参詣してないと気づいて板宿八幡の方へ。飛松の伝承なぞは上方にはいくらでもあるから格別に由緒あるお宮とは言えないだろうし、社域も取り立てていうほどの風情はない。でも、ホントに住宅街の真ん中をうねうね縫うように歩いて登る順路はなかなかよろしい。

 さて、板宿から須磨寺へは、途中大手町や離宮道など瀟洒な邸宅がならんでおり、歩いててたいへん気分が良い。もっともはたから見ればお屋敷をしげしげ眺める不審者なのでしょうが。むしろ須磨寺の横にある池(名前が分からない)の寂れ具合に気が滅入る。観光旅館などもあるから、かつては行楽の地として賑わったのだろう。たしか谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で須磨の月を見に行った(が周囲の灯りがまぶしすぎてちっとも風情がなかった)のはここだったのではないか。

 対照的に須磨寺はいつ来ても、エネルギッシュというか俗悪というか、森閑とした威厳はどこを探しても見つからず、でもまあ清濁併せのむ巨人・空海につながる寺としてはこうあらねばならないのかもしれぬ。今でも二十、二十一のお大師さまの縁日には市が開かれるそうな。こういう、のんびりした感じ、いいですね。

 などとひとりごちながら、鯖大師だの魚鳥供養塔だの(神戸の鮨組合建立)敦盛首塚だの八十八箇所の本尊群だのなにやらいかがわしい匂いのするところを舌なめずりしながら見て歩く。ここ、武田百合子さんが来て見て書いたら無類の散文になっただろうな。『遊覧日記』、浅草花やしきの件に就いて見るべし。

 須磨寺門前町の風情も佳い。今風の洒落たカフェ・雑貨やもちらほら出来ているけど、まだ鄙びてどこか猥雑な空気があってたいへんよろしい。惜しむらくは『志らはま』が臨時休業していたこと。あそこの穴子ずしで昼からぬる燗、と決め込んで浮き立っていたんだけどなあ。

 なんとなく悄然と歩いてますと、スーパーがあった。店頭の商品がかなり安かったので、ちょっくらのぞいて見るべいと中に入る。そこで見つけたのですねえ、「タイムサービス!! 大根一本108円」。今年はこれまた秋らしからぬ高温が続いて大根がなかなか安くならない。鍋の薬味に大根おろしをするくらいならそれでも買うけど、こちらは沢庵を漬けねばならぬのである。ようけ買わねばならんのである。298円か108円かは大きくひびくのである。

 というわけで売り場の大根の山をほとんど空にする勢いでカゴに放り込んでいく。レジのおねいさんは「だ、大丈夫ですか」と心配していた。あれは当方のアタマを気遣ったのではなく、持てるかどうかを訊いていたのだ、と思う。思いたい。

 月見山から高取山町まで(板宿からでも上り坂一直線でおよそ十八分)、都合十四本の大根がつまったレジ袋を両手に提げながらとぼとぼ歩むときの心中については聡明犀利な読者の皆様のご賢察にお任せします。ゴルゴダまで十字架を背負って歩んだイエスさまの気持ちがあれほど痛切に分かったと思えたことはありませんでした。


野々村一雄『学者商売』(中央公論社)……大笑いしながら頁を繰った。エピソードの中身もさりながら、ぼきぼきと音がするような口調がいい。
○土肥恒之『西洋史学の先駆者たち』(中公叢書)
井上章一編『性欲の研究』(平凡社
○今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』(中公新書)……オノマトペを緒(いとぐち)に切り込んでいく発想がユニーク。誤謬による推論をしてしまうところに創造性を見いだすのも、はっ。とさせられる。
校條剛富士日記の人びと』(河出書房新社)……本自体の程度はもひとつだが、ノブさんや外川さんといった懐かしい名がぞろぞろ出て来て泣きそうになる。
○ウィリアム・シットウェル『図説 世界の外食文化とレストランの歴史』(矢沢聖子訳、原書房
○ヘルマン・ケステン『異国の神々(小松太郎訳、河出書房』
井上ひさし『まるまる徹夜で読み通す』(「井上ひさし 発掘エッセイ・セレクション」、岩波書店)……「推薦文100選」がすごい。帯や内容見本に載せたもの、つまりほとんどが散逸するような資料を丹念に蒐めて編集。一ファンの仕事だそうな。
池波正太郎『人生の滋味』(幻戯書房)……海軍時代の体験について、他書では周縁的なエピソードしか語られていないが、この本の一篇で「いためつけられた」という表現が出てきている。それが印象深い。あと、吉行淳之介篠山紀信との鼎談を読んで、吉行・池波がまったくの同世代だと気づかされた。なんだか愉快。
○松村一男・平藤喜久子編著『新版 神のかたち図鑑 カラー版』(白水社
○松村一男・平藤喜久子・山田仁史編著『新版 神の文化史事典』(白水社
○ケイト・スティーヴンソン『中世ヨーロッパ「勇者」の日常生活 日々の冒険からドラゴンとの「戦い」まで』(大槻敦子訳、原書房)……わはは、わいこんなん好っきゃ。好きやけどしかし、文章がマズい。「才気煥発」を見せつけようとして、かえってがちゃがちゃとひとりよがりになってしまってるのが惜しまれる。
末木文美士『近世思想と仏教』(法蔵館)……いろんな角度から論じていて参考になったのだが、《思想》としての位置づけが本質的な評価と等価と言えるかどうか。風俗、いっそ生活の一部と成り切った点にこそ「近世」ならではの仏教の面白さという見方は出来ないだろうか。すなわち仏教民俗学
川口浩『熊沢蕃山』(ミネルヴァ評伝選、ミネルヴァ書房
磯崎新デミウルゴス』(青土社
○小坂井敏晶『神の亡霊』(東京大学出版会
○齋藤環『100分de名著 中井久夫スペシャル』(NHK出版)
荒木浩『京都古典文学めぐり』(岩波書店)……清少納言が賀茂の臨時祭(冬至前後)に熱狂するくだり、えんぶり(これは二月中旬)に心うばわれてる身にはげにもと頷かれる。
内田樹釈徹宗『日本宗教のクセ』(ミシマ社)
今野真二『江戸の知を読む』(河出書房新社
○エリー・ウィリアムズ『嘘つきのための辞書』(三辺律子訳、河出書房新社
○『星新一ショートショート1001』1(新潮社)……これも「中年からの」キャンペーン(?)のうち。星新一のオソロシサについては当ブログで何度か触れているが、『気まぐれ博物誌』を再読してこれはやっぱりショートショートを精読せねば、と思い立った。エッセイ、ショートショートを問わず、「気まぐれ」が頻繁に冠されるが、これは(ある種の「エッセイ」に見られるような)どうでもいいような感想、自堕落な(と評したくなる)思いつきではなく、たとえば十七・八世紀の英文学に見られるようなdigressionに等しいのでは、という予感がある。
姜尚中他『文化の爛熟と武人の台頭』(アジア人物史第4巻、集英社
○吉田元『酒』(ものと人間の文化史172、法政大学出版局
旅の文化研究所『落語にみる江戸の酒文化』(河出書房新社
○農口尚彦『魂の酒』(ポプラ社)……この三冊は神戸市中央図書館(三階)の「テーマ展示」から。時宜を得た企画もあり、誰がそんなん借りるねんとツッコミたくなる選択もあり、引っくるめて鯨馬はけっこう贔屓にしております。