岡目の一目~えんぶり復活(3)

 土曜は朝から陸奥湊へ。東十日市組の門付けがある、えびす舞は就いて見るべし。と教えてくださったのは言うまでもなく二ツ森さん。中心街から小一時間ほど歩き陸奥湊駅前には六時半頃到着。普段から早起きなのでちっとも苦にならない。

 まずは腹ごしらえ。今回は『みなと食堂』ではなく、新装なった駅前の市場内で朝食とする。焼き鯖とほうれん草おひたし、それに飯と汁の食事に、缶ビールのアテとしてホヤの塩辛・にしんの酢〆、鯖の冷燻という取り合わせ。食欲は充たされたけど、以前あったもっきり酒がなくなっていたのを憾みとする。

 ゆっくりビールを呑んでいるうちに、二ツ森さん、それに師匠の友人である写真家の松本さん(東京在住)も合流。あ、お二人は呑んでませんよ。念のため。

 八時開始とのことだが、一向にその気配、とはつまりお囃子の音が聞こえてこない。師匠曰く「八戸時間です」。本日も空はうららか。えんぶり以外なんの心づもりもない旅行者も八戸時間にどっぷり浸って、三人で雑談。

 結局はじまったのは九時前(近所の商店に門付けしながら市場に向かっていた)。師匠のことば通り、このえびす様はかなりの達者で、いっぺんに場が明るくなる。えびす様は二人いらして、もう一方は小山の如き体格。汗を垂らしながら踊っている容子に愛嬌があった。あと、子供連中の愛らしいこと。紅おしろいのひき方のせいもあるのかもしれないが、朝日きらきらのなかで松の舞や大黒舞を踊っている姿は、妖精の群れに出くわしたようにも見えてくる。いちばん小さい男の子はともすれば半眼になって意識がとびかけているのもまたよろしい。

 いい気分のままお目当ての店へ。最近陸奥湊駅構内に立ち呑み屋が出来たときいていたのである。小綺麗なつくりで、いかにも陸奥湊らしく、鮫のとも和えをアテに男山を呑む。某国観光客一家の不躾な振る舞いにムッとしながらも(店主も従業員も苦笑していたぞ)、二杯目くらいからは不快さも忘れて呑む。

 通常運転ならグズグズになるまで呑みぬくとこだけど(といってもここは早朝から二時まで)、今回はそういう訳にもいかない。またも中心街まで歩いて戻る途中、笛太鼓の音が聞こえてくるとそちらに駆け出し、を繰り返しているとあっという間に夕景。慌ててニュー朝日でひとっ風呂浴びて、マチニワの公演に駆けつける。

 だいぶん組の個性が分かってくる気がした(こっそり言うと巧拙も)。当方の芸術的センスを誇っているのではなくて、二日間朝から晩まで追っかけてたら誰でもこうならなければおかしいのである。二ツ森師匠、それに八戸の皆様から冷笑されることは覚悟の前で、都合四日見物した評判記をまとめて記してみよう。とはいってもそこは素人、岡目八目とは参らぬ岡目の一目(ひとめ)とは題した次第。順不同。

*中居林……師匠の驥尾に付して褒めるのではなく、やっぱりここは格が違うと感じた。五人の太夫が指先・視線をそろえて立ち上がるところは、なんというか神々しくてぞくぞくした。
*市庁郷土芸能保存会……いかにもそれらしくてよい。というのは、「原典批判復刻版」てな克明さがあってよかった。
*大久保……「杓子舞」は唯一この組だけで伝承しているという。文字通り杓子をもって頬被りしたおっちゃんが舞うのだが、いかにも野卑(貶下にあらず)なはやし文句に江戸から明治あたりのえんぶりの雰囲気、この唄で、演者見物ともおおらかに笑っていたであろう時代の雰囲気が伝わってきた。もっとも鯨馬なんぞの耳ではこの南部弁、半分も聞き取れはしなかったのだが。あと、ふと思いついただけの仮説なのですが、この「杓子」は元来、柳田國男が『石神問答』で考察した「シャクジ」と呼ばれるカミなのではなかったか。「シャクジ」と結びつくことの多い道祖神を意味する古語=サヘのカミを否応なく連想させる妻神(さいのかみ)という組もあることだし。
*小仲野……いったん途絶えたのを復活させたのだとか。それだけに熱心さが伝わってくる。太夫はみな高校生で、摺りがじつに力強い。
*横町……八戸でも今では少なくなった「ながえんぶり」の組。「どうさいえんぶり」に比べてより古い形とされる「ながえんぶり」の摺りは一体にゆったりと優雅、と評されることが多い。間違っているわけではないけど、この組の摺りのはりつめた厳かさはその形容だけでは足りないと思う。以前拙ブログ「門々より囃子のこゑ~八戸えんぶり紀行(3)~」で少し描写を試みたのでご参照あれ。この日は二ツ森さんのご紹介により、八戸の名物旅館「柏木旅館」の庭先で演じられるえんぶりを座敷から見物、つまりは「お庭えんぶり」の趣向だった。一般には公開してないイベントで(観光案内所でも知らんと言ってた)、これまた師匠の御陰ということになる。
仲町……えびす舞(子供三人)がよかった。舞に熱中して時折笑顔を忘れるのがとくによかった。
*石堂……衣装が華麗だった。
*日計……笛のおばちゃんが巧い。
*上組町……当方見たうちでは、男の子のえびす舞、あと喜び舞(だったかな?)の秀逸。二人ともめでたい、いい顔つきだった。あと、記憶違いだったかもしれないが、筆頭親方(というのかしら)の唄が塩辛声で、たいそう風情があってよかった。いったいに摺りや各種の舞は、親方連の唄のよさに大きく左右される気がする。
*八太郎……親方といえば、この組では御年八十二歳の名物えびす様が有名だが、親方も負けず劣らずの貫禄。またこの組は親方がザイを振りながらよく動くのですね。足をもつれさせないかステージから転げ落ちないか、ヒヤヒヤしてました(動きが危なっかしいのではない)。

 某場所で某組の始まるのを待っていたとき、後ろにいた二人の婆さまが、「この組はまだ下手だもんねえ」「笛がなっとらん」と(無論南部ことばで)さんざんワルクチを言い合っていたのは欣快至極であった。地元の共同体にながく受け継がれ親しまれてきた芸事というのはこういう批評を受けるのにふさわしいし、またそれだからこそ芸も伸びるというものである。また一日ついて歩くだけであれこれ論評したくなるくらい愛着のわくのがこのまつりなのだとも思う。ですから、以上の放言については、八戸の皆様とりわけえんぶり組の皆様、どうぞご海容の程を。

 『Casa del Cibo』のブイヤベースも『瑞穂』の握りも『鶴よし』の天然真鴨も『やぶ春』の掻き揚げも『鬼門』のナメタ煮付も『南部もぐり』の切り込みも○○○の△△△もぜんぶ辛抱して、ひたすらえんぶりに明け暮れた旅だった。

 ・・・なんか書いてて情けなくなってきたな。来年はどれも平らげてやる!

 という意気込みや佳し。えんぶりの囃子が聞こえてきたらさあどうなるか、分かったものではありません。(了)