断食気分

 週に一、二度断食をしている。といっても短くて十六時間、長くても丸一日程度だから正確にはプチ断食。健康を気遣ってではなく、偶々食事を抜いたあと体が軽く感じたので続けているだけのこと。ネットで方法は調べた。一日くらいならそこまで危険も無いみたいだから、適当にルールを組み合わせている。休日はともかく、仕事でばたばたしているときに水分だけはキビしいから蜂蜜入りの紅茶(某大量販売スーパーで売ってるような、安物のティーバッグが丁度よい)は飲むとか、アルコールは《対象外》とするとか(ただしこれも安物の缶チューハイのみ)。

 実は体の軽さや減量効果は副次的なもので、何より断食明けの食事、つまり字義通りのブレイクファストの旨さがあるから続けられているのである。人一倍食い意地が張ってると自認してるし(飲み意地とすべきか)、自分の食べたいものを食べたいように食べる為の台所仕事にもかなり気を入れてるつもりだけど、やっぱりどこかでオートマティスムに堕してるところがあるんだろう、と思う。

 実際、明けの食事では茶の淹れ加減、飯の炊ける匂い、干し魚の焼き具合、ワインの味わい、発酵モノの熟れかたなど、はっ。と気づかされることが多い。

 ま、この伝でしばらく本を読まねば活字が目にしみるようだとか、久方ぶりの性交がしみじみと滋味深いという訳にはいかないのでしょうが。


○『啓蒙思想の百科事典』(丸善出版)……ディドロのことを調べるために手にとったが、面白い記事が多かったので拾い読みを重ねて結局ほぼ通読。斜め読みでもいったんこうしておくと、次に使いやすいし、参考書探しにも鼻がきくのである。
水上勉『精進百撰』(田畑書店)……『土を喰う日々』続編。繁縷や蒲公英、嫁菜といった野草を近くで採ってくるというのがなんとも豪奢。
井上ひさし『客席の私たちを圧倒する』(井上ひさし発掘エッセイ・セレクション、岩波書店
○津上英輔『美学の練習』(春秋社)……「美とは何か」。まず仮説を差し出して、ためつすがめつ検証を続ける。この角度の取り方(およびそこからの展開ぶり)が哲学のエチュードとなっている。板宿に住みだして二年、出勤のときは往復一時間ほど電車に乗らないといけない。空いてたら本を読むけど、そうもならん場合はこの問題を考えて時間を潰す。「美とは何か」。その十全なる定義は可能か。別に高尚ぶってるわけではなく、暇つぶし兼アタマの体操なのだから「日本料理とは何か」とか「ヘンタイとは何か」などいくらでも遊べるのである。
○坂内徳明『女帝と道化のロシア』(学術選書、京都大学学術出版会)
菊地秀行『妖神グルメ』(朝日ソノラマ文庫)……小学生(!)以来か。表紙絵(天野喜孝)があまりになつかしくて買った。
○ジョウゼフ・コンラッド『闇の奥』(黒原敏行訳、光文社古典新訳文庫)……これも久々。やはりヒトの動きやモノの形態については圧倒的に新訳の方がよい。西欧による収奪という文脈をいったん外してみれば、クルツもまた、帝国主義とともに増殖した、放浪者かつ敗残者であるところの白人(グレアム・グリーンとかに出てくるやつね)の一人なんだな。解説で、クルツの《血脈》として、『ブラッド・メリディアン』の判事をあげている(黒原さんはこちらも翻訳している)のには唸った。
○ジョージ・ミケシュ『これが英国ユーモアだ』(中村保男訳、TBSブリタニカ
○ケイト・フォックス『イングリッシュネス』『さらに不思議なイングリッシュネス』(北條文緒他訳、みすず書房
○佐藤良明『英文法を哲学する』(アルク)……目からうろこ!というほど斬新な指摘があるわけではないけど(しかしこれはよく考えたら当然の話ではある)、英語的見方/見え方という視点で統一的に説明されると説得力がちがう。時制のはなしなぞ、いわゆる入試英語に苦しむ受験生にも有用なのでは。
新井潤美『英語の階級』(講談社選書メチエ)……労働者階級より、むしろ中流階級(の中・下層)の言葉遣いが嘲笑の的になるそうな。そしてそれはアメリカ英語への蔑視とも共通する。どういうことかといえば、粗野野卑な表現ではなくむしろ気取った・もったいぶった・抽象的な表現がかえって《成り上がり》の典型と聞こえるらしい。本邦に例をとるなら、ちと古くさいが「ざあます」言葉みたいなものか。それにしても、フィクション(小説でも映画でも舞台でも)で、アクセントや語彙によって(特に前者)風俗の微妙な質感を描き出せる英語がうらやましい。

 

 

精進百撰

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